続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

吉川宏志(私的解釈)画家が絵を。

2022-01-19 14:53:10 | 吉川宏志

 画家が絵を手放すように春は暮れ林のなかの坂をのぼりぬ

 画家が絵を手放す、譲渡…わたくしの手元から離れた、ゆえに再びわが物として眺める機会はない。
 もちろん加筆や修正は許されぬこと。大きな喪失感、わたくしから離れたことであの絵(作品)はどんな運命をたどるだろう。あずかり知らぬあの絵の未来、未練、執着、責任は計り知れない。見えないことへの不安と期待、たしかに絵(作品)はわたくしの視界から消えてしまった。
 費やした時間、完成までの思い入れの重さはすでに幻と帰した。

 見えない未来、華やぎの朧は曖昧模糊と霞んでいく。暮れなずむ林の混沌、大きな虚脱を繕うように一歩一歩坂を上って行く。
 わたくしは失ったのだろうか、あるいは確信を得たのだろうか。

 正負の均衡はつねに危惧されるべきものである。沈思黙考、絵(作品)は《恋・熱愛》だっかもしれない。春の慕情を打ち消すように未練を背中に残し、ゆるやかな坂を振り向かず上って行ったわたくしである。


『飯島晴子』(私的解釈)新地蔵。

2022-01-19 07:42:18 | 飯島晴子

   新地蔵走りまはれる夏の海

 新地蔵はシン・ジ・ゾウと読んで、心、地、蔵。
 夏の海はゲ・カイと読んで、下、界。
☆心(心の中)にある地蔵(救済)は下界(人間界)を走り回っている。

 新地蔵はシン・ジ・ゾウと読んで、新、辞、造。
 走りまはれる(走廻)はソウ・カイと読んで、捜、諧。
 夏の海はカ・カイと読んで、化、改。
☆新しい辞(文章)を造(こしらえること)を捜す。
 諧(しっくり調和すること)には、化(形、性質を変えて別のものになる)で改(あらためる)。

 新地蔵はシン・ジ・ゾウと読んで、寝、児、象。
 走りまはれる(走廻)はソウ・カイと読んで、総、皆。
 夏の海はゲ・カイと読んで、戯、快。
☆寝た児の象(すがた)は総て皆(残らず)戯(楽しむようで)快(心地が良い)。

 新地蔵はシン・ジ・ゾウと読んで、浸、事、蔵。
 走りまはれる(走廻)はソウ・カイと読んで、創、壊。
 夏の海はカ・カイと読んで、禍、悔
☆浸(水がしみ込む)事(出来事)は、蔵を創(きずつけ)壊す禍(わざわい)であり悔やむ。


M『人間嫌いたち』

2022-01-19 07:12:49 | 美術ノート

   『人間嫌いたち』

 地平線は低い、つまりこれら対象物(カーテン)は見上げる位置に林立しているが、正面からの視点と重なっており、複合的な絵図となっている。
 
 カーテンが硬直し直立している景などはあり得ない光景であるが、擬人化と言えば肯く。つまりカーテンの要素をもった精神の具現化である。このカーテンの形からすると両開きであるが、片側だけの乱立である。欠如は均衡の不具合であり不安定を示唆する。
 しかし、強直なまでに直立するカーテンは、何かを隠している。カーテンが本来持つ意味は《遮蔽》である。
 擬人化したカーテンの集合は猛威である。『人間嫌い』は《負》であるが、その集合(複数・集団)は《力》とも《脅威》ともなり得るのではないか。

 写真は『マグリット』展・図録より


『雨ニモマケズ』1.

2022-01-19 06:47:26 | 宮沢賢治

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 欲ハナク
 決シテ瞋ラズ

☆有(存在、苦しみと迷いに満ちた生存状態)を、普く説(話)で化(教え導き)書いている。
 常(いつも)訃(死去の通知)には抑(気持ちが沈んでしまう)。
 訣(人との別れ)は、辛い。