続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

吉川宏志(私的解釈)湖を。

2022-01-24 07:35:25 | 吉川宏志

 湖を埋めて造った高校に老け顔の吾通ひいたりき

 湖を埋めて・・・ということは山を削って埋め立てということである。
 埋め立て。土地を広げ、利便、生産性を高める有効性。本来は低い地盤を埋め立て造った高校に老け顔の吾が通っていたという回想。

 自然破壊は昔からの手法、東京に然り、街が大きく発展していくための手段であり、わたし達はその上を不思議とも思わず暮らしている。

 けれど、山や湖の《水》はどこへ行ったのだろう。太古の昔から水の量は不変である。まさかみんな雲になったということもなく地中のどこかに潜んでいる。
 水の流れはどうなっているのだろう。浸水や液状化、地盤沈下はないのだろうか。
 魚や鳥、草木や動物・・・生態系の崩壊、どこへ消えただろう。

 景色の変容、かつて湖だったという事実の上を踏み歩く日常。個人として様々な思いが胸を過る。一個人の大きな力への抵抗など欠片も持てないが、変貌への思いはわたくし(作者)の顔に皺を刻んだかもしれない。
 新生、若さは老いを越えて未来を形作っていく。


『飯島晴子』(私的解釈)細長き。

2022-01-24 06:57:20 | 飯島晴子

   細長き泉に着きぬ父と子と

  細長きはサイ・チョウと読んで、最、澄。
 泉に着きぬはセン・チャクと読んで、千、著。
 父と子とはフ・シと読んで、不、死。
☆最澄(比叡山延暦寺創建、日本天台宗開祖)は千(たくさん)の著(書物を書き表し)不死(何時までも生き続けている)。

 細長きはサイ・チョウと読んで、再、挑。
 泉に着きぬはセン・ジャクと読んで、戦、寂。
 父と子ははフ・シと読んで、負、氏。
☆再挑戦、寂しく負けた氏である。

 細長きはサイ・チョウと読んで、再、調。
 泉に着きぬはセン・チャクと読んで、詮、嫡。
 父と子とはフ・シと読んで、富、嗣。
☆再び調べ詮(明らかにする)嫡(跡継ぎ)。
 富(財産が豊かにある)嗣(相続人)であれば。

 細長きはサイ・チョウと読んで、祭、眺。
 泉に着きぬはセン・ジャクと読んで、選、若。
 父と子とはフ・シと読んで、巫、祠。
☆祭りを眺めると、選ばれた若い巫(巫女)が祠(神仏を祭る場所)にいる。