続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)睡蓮に。

2022-01-13 07:07:36 | 飯島晴子

   睡蓮に険しき人と思ひけり

 睡蓮に険しきはスイ・レン・ケンと読んで、誰、恋、験。
 人と思ひけりはニン・シと読んで、認、試。
☆誰に恋しているのか、験(たしかめ)認(見分けること)を試みる。

 睡蓮に険しきはスイ・レン・ケンと読んで、酔、連、肩。
 人と思ひけりはニン・シと読んで、任、姿。
☆酔った連(仲間)が肩を任せる姿。

 睡蓮に険しきはスイ・レン・ケンと読んで、衰、憐、顕。
 人と思ひけりはジン・シと読んで、腎、肢。
☆衰(おとろえること)を憐(気の毒に思う)。
 顕(明らかになる)腎(要)の肢(手足)。

 睡蓮に険しきはスイ・レン・ケンと読んで、睡、蓮、兼。
 人と思ひけりはニン・シと読んで、任、支。
☆睡蓮は兼ねる任(務め)に支えることがある。(蓮華座)
 


M『空気の平原』

2022-01-13 06:40:35 | 美術ノート

   『空気の平原』

 空気は気体であれば、平原は無い。(層はあるが)
 もしも、ではなく(あること)が前提の作品である。

 山の頂上に一本の葉でできた樹木があるが、視点は見上げるのではなく対面であり、巨大な葉(樹木)であるのに遠近法を外している。少なくとも画面全体の視点と重なる構図である。
 岩盤に唐突に樹木が聳えているという矛盾…第一、一葉が巨大な樹木に見える光景自体に矛盾がある。

 奇異、矛盾を平然と並べ、一つの空間(景色)として成立させる強引さは知的世界にのみ許される空想という異次元であり、『空気の平原』というタイトルからして、自然への反逆、冒涜である。
 知的権力の行使、精神の自由は地の果てまでも変換可能であるから『空気の平原』は成立しうる条件に相当する。

 写真は『マグリット』展・図録より