続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『風の又三郎』56。

2011-07-27 07:06:23 | 宮沢賢治
それから五年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除をしませう。ではこゝまで。」

 五年生は、悟(真理に目覚める)の念。
 六年生は、無(存在しない)夢の念。
 先生は、千(沢山)の星。
 教室は、胸悉(ことごとく胸の中)
 掃除は、争を除く。

☆それから真理に目覚めた人(神)と、無の人(神)は、たくさんの星といっしょに精神の争を除きましょう。ではここまで。」

『城』551。

2011-07-27 06:22:18 | カフカ覚書
やがて、Kがいつまでもだまって考えごとにひたっているので、やにわに身を起すと、子供がするようにKを引っぱりはじめた。

 schrak・・・schrecken/驚く。
 だまって/still→steller/恒星。
 いつまでも(とどまっている)/blieb・・・bleiben/命を失う。
 子供/kind→kunt/周知の。

☆Kが驚いたことには、恒星も命を失うという考えだった。周知の先祖はKを引っぱりはじめた。

「立てる像」の感想。

2011-07-26 07:10:58 | 美術ノート
 松本俊介の「立てる像」
 作品は、作家の宣言である。
「わたくしは、世界の上に立っている一存在である。世界はわたしであり、わたしは世界である。道は多岐に渉るかもしれないけれど、この一本道を行くわたしは、世界を見上げ、また俯瞰して、オールラウンドを感知し、わたくしで在り続ける作品を描いていく」というメッセージを発している。
 曇天の空については昭和14年に描かれたというその時代背景そのもの(昭和15年第二次世界大戦勃発)

《しかし、わたくしは強者ではなく、平服素顔のままのわたくしであります!》潜む弱点を静かに克服し、生きる尊厳を表明し得た自分の肯定。

 ありのままの、しかし、決して臆することのないわたくしの宣言はこのようであります。そういっているような気がする。

困惑。

2011-07-26 06:43:41 | 日常
 先日の夢庵での四人の集い。話を聞いているとみんなそれぞれ
「お米はね、夫の所有する土地でお米を作っている人から送ってくるので買ったことがないの」とか「ゴルフ三昧ね」とか「兄が裁判官だったでしょう、夫の兄弟はみんな医者なの」なんて言っている。

 こちらは言葉もなくている所へ、
「あなたのその髪形いいわね、どこの美容院?」

《ギョ、ギョギョ!》

 しばらく間をおいて、仕方なく言ったわ・・・。
「自分で切っているの、お金も時間もかからないから」
「ええっ、どうやって?」なんてわたしの髪を覗き込む三人。ホント、穴があったら入りたかったわ。

『風の又三郎』55。

2011-07-26 06:29:10 | 宮沢賢治
今日持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦冶さんとコージさんとリョウサクさんとですね。

 今日はキン・ヒと読んで、金(尊い、貴重な)・陽。キョウ/経(不変の真理を説いた書物)
 悦冶はエツ・ジと読んで、越・時(時を越える)
 コージは、後事(死んだ後、将来の事)
 リョウサクは、霊(死者の魂)放く(離く)

☆今日持って来なかった人(尊い太陽である神)は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは時を越えたり、将来や死者の魂を解放してしまったからですね。

『城』550。

2011-07-26 06:12:30 | カフカ覚書
なにやら小唄を口ずさんだが、うたっているというよりもため息をついているという感じだった。

 小唄/kleines Lied→Klan leid/氏族の悲しみ。
 歌う/sang→orge/心配、不安。
 
☆なにやら氏族の悲しみのようだったが、心配しているというよりもため息をついているという感じだった。

占いとは何か。

2011-07-25 06:37:38 | 日常
『ロゴスドン』の今回の課題『占いとは何か』を考えている。

 占い・・・過去の事は誰でも分かっている。けれど、未来はどうなるのか、誰しもが知りたい。そこで占いという介在が望まれる。
 望まれて生まれた未来への憶測、期待。

 明日はどうなるのか・・・本当は誰も知らない。知らないことを過去のデーターなどで確率論的に言い当てる。それが一般に占いと呼ばれて、太古の昔からその職業は存在していたのは周知の事実である。

 日常、政治、天変の変化に至るまでを予測し、告げる。いわば、目に見えないもの(神)との媒体たる占い。

 信じるも八卦信じないも八卦・・・。

 手相学は高い確率で信憑性を得ている。
 長い間のデータの集積は動かしがたい真実を内包しているように見える。

 生まれ星・・・運命、宿命。これらを肯定的に生きているのだろうか。本当のことは誰にも分からない。

 けれど、人生に対する妄想とも言い切れないある種の予感を、占い者がピタリと言い当てるとき人は驚きと同時にその信憑性に対する疑惑を打ち捨ててしまう。(TVなどでよく見かける光景・・・)

 占いに対する感想は曖昧な思考の範囲を超えることなく内在している。
 つまり断言がはばかれるのである。

『風の又三郎』54。

2011-07-25 06:25:44 | 宮沢賢治
『風の又三郎』というのは、普く幽(死者の世界)ではみんな太陽である=平等である。(そう言っているような気がする)

「では宿題帖はこの次の土曜日に直して渡しますから、

 土曜日はド・ヨウ・ヒと読んで、度(決まり、定め)陽(太陽)秘(奥深くて計り知れない)
 渡すは、トと読んで、徒(仲間)

☆「では前世からの解決すべき事柄は、この慈/情け深い太陽の奥深くてはかりしれない決まりで直して仲間(神の)にしますから、

原点。

2011-07-24 06:57:38 | 日常
 思いがけない人に遭遇した。
 李ウーファン・・・四十数年前その人を見たことがあると言うに過ぎない。

 けれど、美術館で目が合った時、(!!!)誰、あっ、そうなの、そうに違いない。わたしの頭の中は忙しく記憶を辿っていた。

 美術手帳という雑誌に載った氏の論文はわたしを捉えて離さなかった。誌に応募したその論文は三席だったような気がするけれど、他のものより何故か衝撃的だった。
 当時お世話になっていた小林先生に「わたし、この論文を三回読みました」と伝えると「キミ、えらいねぇ」と褒めて頂いたことを記憶している。

 その後、氏はアーティストとして名を馳せ、美術館などで作品を鑑賞していたので、記憶は古びることはなかったけれど、まさか、目の前に現われるとは夢にも思っていなかったので驚いてしまった。
 時々思う、あの論文(内容は忘れてしまった)がわたしの原点だったのではないかと。


 懐かしい・・・といえば小林先生。
「あなたが会いたいと思う人がいたら、どんな人でも連れて来てあげますよ」といってくれた一言が、世界に風穴をあけてくれたような気がする。
「なにね、一流の人もただの人(普通の人)だと分かることが大事なんです」
 そう言ってくださった先生はすでに鬼籍に。

 先生、そこからわたしが見えますか?見えたらお礼が言いたいです。