相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「平塚鬼子母神」として親しまれている「顕應山妙安寺」

2023-07-13 15:30:33 | 寺院
平塚市平塚に身延山の久遠寺の直末寺、東海道五十三次平塚宿の相州「平塚鬼子母神」として古くから親しまれている日蓮宗寺院「顕應山妙安寺」は鎮座している。元亨元年(1321年)創建の日蓮宗最初の寺院で後醍醐天皇による勅願寺である。江戸の初期(慶安年間)頃建立。開山は顕應院日在上人、開基は深信院妙安日栄信尼。徳川家康の側室の一人で、日蓮宗信仰篤き養珠院「お萬之方様」(水戸徳川家、紀州徳川家開祖の御母堂)に幼少の頃から奥女中として仕えていた妙安信尼へ鬼子母尊神を授受し別邸で安置していたと伝わる。志念に感銘した日在上人が創立し「顕應山妙安寺」となった。本尊は三寶。平塚駅から徒歩10分程の西方に位置し、「寺号標」より入山すると正面に鉄筋コンクリート造り2階建ての「本堂」、右手に「庫裏」がある。そして本堂左手に「平塚鬼子母神」、「湘南平塚七福神大黒尊天」が祀られている。(2307)
 
 
 
 
 

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平塚宿本陣菩提寺であった「福生山宝善院」

2023-07-13 07:26:03 | 寺院
平塚市平塚に江戸時代300年を通じて平塚宿菩提寺として平塚の中心的存在であった東寺真言宗寺院「福生山能満寺」(宝善院)は鎮座している。創建は建久年間(1190年〜1199年)。本尊は不動明王。徳川家康公が江戸城入府直後の慶長6年、東海道五十三次の宿駅制度制定の際、平塚宿の目印として三河以来の譜代の家来「加藤・成瀬」の両家を平塚宿の本陣家とし、当寺を「本陣菩提寺」、平塚宿の寺院方差配寺と定め、広大な寺領を拝領したことで江戸時代に最も隆盛を極めた。平塚駅より西方へ15分ほどの通りに「なまこ塀」で囲われた寺域の正面に構えられた空海筆山号額の「山門」を抜けると境内正面にコンクリート造りの天井画が美しい「本堂」、その右に「庫裏」がある。当寺の目玉は本堂地下入り口から墓地南通路下を通って歴代住職墓地に至る「四国八十八ヶ所地下霊場」である。墓地周りは築地塀で囲われ境内には天王社、稲荷社、天神社が祀られ、さらに虚空蔵堂、永代供養墓、万霊塔、ふたたび大使像、ぼた餅地蔵、宮本武蔵ゆかりの瓦、日本最初の「鉄道レール」が保存されている。(2307)
 
 
 
 
 
 


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