町田市野津田町に「新東京百景」、「日本の歴史公園100選」、「東京都指定名勝」に指定され町田を代表する公園「薬師池公園」はある。七国山に隣接しており谷戸地形を生かした園内中心部には当園のシンボルの池が配され古民家、植物園(万葉草花苑)があり、その周りに梅、桜、菖蒲、アジサイ、大賀ハス、椿、藤の花々、そして今は「七色の紅葉」で錦秋に彩られている。当園の名のもとなっている「薬師池」には数羽のカモが生息している。越冬のために飛来している十数羽の「キンクロハジロ」、「アカハジロ」、「マガモ」、「アイガモ」、「カルガモ」達が紅葉が映しこまれた池面に波紋を描くように優雅に泳いでいる。(1811)
東京都三鷹市下連雀に下連雀地区の鎮守「八幡大神社」は鎮座している。「三鷹八幡大神社」とも言われている。創建は明暦2年(1656)とも寛文4年(1664)連雀新田名主「松井治兵衛」が創建を幕府に誓願により社地1万坪と寺地2万坪の除地を与えられ創建したとも伝えられている。明治6年(1873)の神仏分離によって村社に列格した。祭神は応神天皇。三鷹通りと連雀通りの交差点に面して石造りの大きな「一の鳥居」が構えられている。参道を進むと「二の鳥居」、「神門」と続き正面に煌びやかな豪奢な「拝殿」、「幣殿」、「本殿」の社殿群がある。社殿は享保10年(1725)に改修、弘化元年(1844)再建。現在の社殿は昭和40年(1965)新築、更に平成3年(1991)北へ15m現在地に移転した。その他「神楽殿」、「神輿合」、社務所、手水舎とあり、特に例祭に渡御する2基の神輿のうち「二之宮神輿」の屋根の鳳凰の目が日本一のダイヤモンドが埋め込まれ1994年版のギネスブックに記録された。境内には複数の鳥居、また市指定文化財・天然記念物「すだじい」の木がある。(1811)
町田市野津田町に高野山真言宗の寺院「幸山華厳院明王寺」はある。創建年(伝)は奈良時代の天平年代に「福王寺」として創建。江戸幕府より寺領8石のご朱印を拝領している。後に衰退したことにより興満聖人(天正4年1576年寂)が明王寺(普光山)の廃跡である当地に再興した。当寺は現在薬師池公園にある「野津田薬師堂」(旧福王寺薬師堂)の別当を勤めた。本尊は智證大師の作と伝えられる不動。薬師池公園を下り57号線「新袋橋」信号を左折、淵野辺方向に進むと右手に寺号標が建てられ、参道を進むと「山門」が構えられている。その山門を抜けると境内正面に寄棟草屋根木造建築「本堂」があり素晴らしい吉祥天女および竜と雲の欄間彫刻が施されている。本堂前には「弘法大師像」が建てられ、その右に昭和46年改築「庫裏」がある。境内左に鐘楼、墓地、五輪塔、宝篋印塔がある。その一角に「大イチョウ」が真黄色、山門そばに「かえで」が紅く色づき境内を美しく彩っている。(1811)
町田市野津田町に「新東京百景」、「日本の歴史公園100選」、「東京都指定名勝」に指定され町田を代表する公園「薬師池公園」はある。七国山に隣接しており谷戸地形を生かした園内中心部に池が配され古民家、植物園(万葉草花苑)があり、その周りに梅、桜、新緑、菖蒲、アジサイ、大賀ハス、椿、藤の花々が咲き乱れ、そして今の紅葉と四季を通じて色んな花、木々の植物で彩られる。当園はモミジ、クヌギ、コナラ、サクラなどが一斉に日増しに色づき四季の中で最も華やいだ紅葉景色を創り出し、池面に映しこむ。秋の町田を彩る紅葉を主役としたイベントいっぱいの「紅葉まつり 2018」が12/3まで開催されている。見所はしょうぶ園の一番奥、薬師池まわり、やくし茶屋そばのモミジ、民家園、薬師堂等のモミジやイチョウ落葉樹が見事に紅葉しもう園全体が幻想的な紅葉のベールに包まれてまさしく錦秋の彩りとなっている。(1811)
南区相模大野の伊勢丹、相模女子グリーホール、図書館に隣接し地域住民の憩いの場として親しまれている「花と水と緑」がテーマの公園「相模大野中央公園」はある。当園は「大野もんじぇ祭り」や「ハロウィン」など各種イベントが行われる。園内には四季を通じて季節の花が咲き乱れる花壇、相模湾をイメージした池と噴水、幾つもの遊具と砂場のある「チビッコ広場」、風の広場、水の広場、語らいの広場、集いの広場、四季の道などがある。園内でまず目を惹くのがグリーンホール、図書館から繋がっている階段そばの紅く染まった「モミジ」、また公園の左側の遊歩道には紅く色づいた「モミジ」やオレンジ色、黄色く紅葉した「落葉樹」が公園を美しくそして華やかに染めている。(1811)