相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「相模原麻溝公園」の「コキア」がほんのり色づき始めた!!

2021-09-30 17:23:46 | 公園・庭園
相模市南区麻溝にクレマチス、アジサイの名所で四季の花が絶えない「相模原麻溝公園」はある。花の谷R花壇に「コキア」100株ほど植栽されている。コキアの名所「ひたち海浜公園 」 や「ドイツ村」とは比べものにならない規模であるが、市内で見ることができるのは当園とモナの丘くらいである。20日前はまだ真緑というかライムグリーンで先端が少しだけ赤みを帯び始めていたが、今日はやっとコキアらしい箒が丸みを帯びほんのり色づき始めた。真っ赤になる光景となるにはまだ時間が必要。和名を「ホウキグサ」で、昔はこの茎を乾燥させて「箒」を作っていた。実は「畑のキャビア」と言われている「とんぶり」である。(2109)
 
 
 
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藤沢に弁慶と義経伝説残る「八王山常光寺」

2021-09-30 11:11:33 | 寺院
藤沢市本町に鎌倉光明寺の末寺で浄土宗の寺院「八王山常光寺」は鎮座する。創建は元亀3年(1572)。火災に遭い宝暦12年(1762)に再建。本尊は阿弥陀如来である。当寺の山裏には源義経の家来となった「弁慶」の霊を祀る「八王子権現社」があったようで近くの丘には「弁慶塚」がある。山門を抜けると左手に「六地蔵」と浄土宗系の「庚申塔」が二基ある。その他宿の旧家の基地が残されている。正面に「本堂」、右に庫裏がある。境内には天然記念物の樹林があり市の指定になっている。中でも「かやの大木」は県の名木百選に指定されている。当寺は藤沢七福神一つである「福禄寿」を祀っている。(2109)
 
 
 
 
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県立相模原公園」の「ジュウガツザクラ」満開の美しさ!!

2021-09-30 07:57:46 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に市民のオアシス、四季の花で彩られる「県立相模原公園」はある。 9月に入って少しずつ涼しくなり秋の気配が感じられるようになった。当園の「紅葉の丘」「イベント広場」の一画では「ジュウガツザクラ」(十月桜)が3本、「フユザクラ」(冬桜)が2本ほど植栽されている。20日に訪れた時は花数も増えて千輪に近い3分咲きとなっていたが、今日はもう満開となっていた。「ジュウガツザクラ」(十月桜)はバラ科サクラ属の小高木。「エドヒガン」と「コヒガンザクラ」を原種として江戸末期に作られた桜である。花は中輪で小振りの八重咲き、白色か淡いピンク色をしている。花名の通り10月から少しずつ咲き始め12月まで咲き続けるのだがもうすでに満開ピークの美しさである。(2109)
 
 
 

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相模原「モナの丘」では「トロロアオイ」の大輪が!!

2021-09-29 17:40:09 | 建造物
相模原市下溝にハーブとバラの芳香に包まれた農園=農業生産法人グリンピア相模原が運営する農業体験施設「モナの丘」はある。2007年にオープンした「モナの丘」は広さ3.5haの広大な敷地内に花壇をじめとして「バラ園」、「ハーブ園」、「ラベンダー園」がありまるで花園のようである。その他に「バイオマス実験プラント」、「キノコ畑」、「果樹林」、「バーベキュー広場」等が配置されている。入口そばに植栽されている「トロロアオイ」が100輪ほど薄黄色の大輪を披露中である。中国原産アオイ科トロロアオイ属で「黄蜀葵」「ハナオクラ」の別名がある。ハイビスカスのような大形の花穂を立て、黄色くて中心が紫色をした5弁花を開く。花は一日花なので夕方の早い時間に閉じてしまうという儚いf花木である。フヨウにも似ているが葉は互い違いに生え大きくて5~9つに手のひら状に深く裂けている可愛らしい花である。(2109)
 
 
 
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飯盛女の墓がある「鳳谷山永勝寺」

2021-09-29 14:41:23 | 寺院
藤沢市本町に浄土宗寺院「鳳谷山永勝寺」はある。創建は元禄4年(1691)、本尊は阿弥陀如来である。当初鎌倉に開山したようだが真海が慶長年間(1596~1615)に現在地に移転、中興した。旧東海道のJAさがみ藤沢支店の脇道を入って行くと「薬医門」が構えられている。門を抜けると緑豊かな境内の右に「鐘楼」、正面に入り母屋造りの「本堂」、その横には「太子堂」がある。境内左側一角に江戸時代の飯盛旅籠「小松屋」に抱えられていた「飯盛女の墓」が39基がある。この女性たちの殆どが小松屋初代源蔵の出身地である伊豆国小松村の出であり、貧しい農村などから身売りされてきた女たちである。宿場の旅籠にいた非公式の遊女同然で働いていたようである。なぜか女たちの切なさ、悲哀が伝わってくる寺域であった。(2109)
 
 
 
 
 
 
 
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