相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

熊本地震から復旧工事が進む日本三名城の一つ「熊本城」!!

2024-04-16 07:29:35 | 城・城郭
「熊本城」は日本三名城の一つで別名「銀杏城」とも呼ばれ、名将加藤清正によって慶長6年(1601)から約7年の歳月をかけ築城。周囲5.3㎞、総面積98haに及ぶ広大な城郭には天守3、櫓49、櫓門18、城門29の構えを持ち、石垣や自然の地形を利用した独特の築城技術が生かされている。明治10年西南の役では50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮したが、開戦直前の火災で天守・本丸御殿一帯が焼失した。現在の天守閣は昭和35年に再建されたものであるが8年前の2016年に起きた熊本地震で天守閣、石垣は崩壊してしまった。地震から5年が経ち傷んだ熊本城の天守閣と長塀の復旧工事が完了、今ようやく復旧はおよそ2割ほどの進捗である。しかし計画の見直しでは当初20年掛るとされていた工期が15年延長となり2052年度まで延長された。これまで災害で熊本城ほど大きく被災した城はなく、傷ついた石垣の調査や復旧方法の検討、それに専門性が求められる石工などの技能者の育成には時間を要するとのこと。城内の至る所に植栽されている「ソメイヨシノ」「肥後桜」、「山桜」の3種類約800本の桜が春に咲き誇る桜景色は国内でも最上位の名所である。今回の熊本の旅、そのお城の桜を見ることが一つの目的であったが3月の低気温、寒さに加え、冷たい雨続きで主役の開花が遅れその美しい桜景色を愛でることは叶わなかった。来年は是非とも夢をかなえたいものである。(2403)
 
 
 
 
 
 
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町田木曽に欧州の古城を思わせる「プリンセス城」

2023-09-18 10:32:37 | 城・城郭
町田市木曽に外観がまるで欧州の古城を思わせるはちみつ色のレンガづくりでひときわ目を引く建物が「プリンセス城」である。チャペルや少人数向けの会食会場、ブライダルサロンなどがある「パトリック・キソ・ガーデン」である。120年前のイギリスの建物に使用されていたレンガで480人の職人が中世の工法を再現して建てた本格的なシャトー(お城)である。内部チャペルは内装も美しくニューヨークのセントパトリック大聖堂から移築された壮大なステンドグラス、キリストの宗教が描かれた天井画は圧巻だという。選りすぐりの調度品、隅々に拘りがという。アンティークなお城や光輝くステンドグラスは必見らしい。併設の庭園「プリンセス・ローズ・ガーデン」はモナコ王国・グレース妃のバラ園をコンセプトに造られ、緑豊かでスペインのアンダルシア地方から樹齢300年のオリーブが植樹されてえりガーデンのシンボルとなっている。縁なき場所だが一度は撮影にお邪魔したいものである。(2309)
 
 
 
 
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難攻不落の城と言われた「小田原城天守」の威容!!

2022-05-18 11:06:48 | 城・城郭
小田原市城内に小田原のシンボルであり難攻不落の城と言われた「小田原城天守」はある。市内の各所、一昨年駅前にできた「ミナカ小田原」の屋上からとどこからでもその美しい姿を見ることができる。小田原城の築城は応永24年(1417)で別名は「小峯城」「小早川城」とも呼ばれる城郭構造の「平山城」である。築城主は大森頼春。現在目にしている小田原城天守閣は江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に鉄筋コンクリート造で再築されたものである。日本100名城の一つにも数えられる「小田原城」はその昔、武田信玄や上杉謙信といった武将でも攻め落とせなかった天下の名城である。最近では天守閣の大規模な改修工事も終わり2016年から一般公開が再開されている。この城の特徴は何といっても豊臣軍に対抗用に作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9㎞の土塁と空堀で取り囲んでいて、後の豊臣大坂城の惣構を凌いだものとなった。天守構造は複合式層塔型3重4階(1633年築)である。小田原城天守は1階建の小天守、続櫓、3重4階の大天守の構成からなる。大天守は見た目は3重だが1重目は2階に別れ、4階建の天守となる。5重天守の規模で天守のみの高さは27.2m、天守台石垣高さは11.5m、総高38.7mである。本丸広場の海抜29.7m、合わせて海抜約70mとなる。1重の屋根には出窓の上に切妻破風と千鳥破風、出窓は3箇所に施されている。2重目の屋根には比翼千鳥破風と軒唐破風、入母屋造りの屋根には入母屋破風と軒唐破風と鯱が施されている。天守閣は白亜の壁が美しい約40mもの高さを誇る小田原のシンボル。コンパクトに見えるが真近で見ると大迫力が感じられる天守である。(2205)
 
 
 
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難攻不落の城と言われた「小田原城天守」の威容!!

2020-12-13 13:52:02 | 城・城郭
小田原市城内に難攻不落の城と言われた「小田原城天守」はある。市内のどこからで美しい姿を見ることができ小田原のシンボルとなっている。小田原城の築城は応永24年(1417)で別名は「小峯城」(小峰城)、「小早川城」(小早川館)とも呼ばれる「平山城」(城郭構造)である。築城主は大森頼春。現在目にしている小田原城天守閣は江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に鉄筋コンクリート造で再築されたものである。日本100名城にも数えられる「小田原城」はその昔、武田信玄や上杉謙信といった武将でも攻め落とせなかった天下の名城である。最近では天守閣の大規模な改修工事も終わり2016年から一般公開が再開されている。この城の特徴は何といっても豊臣軍に対抗用に作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9㎞の土塁と空堀で取り囲んでいて、後の豊臣大坂城の惣構を凌いだものとなった。天守構造は複合式層塔型3重4階(1633年築)である。小田原城天守は1階建の小天守、続櫓、3重4階の大天守の構成からなる。大天守は見た目は3重であるが、1重目は2階に別れ、4階建の天守となる。5重天守の規模で天守のみの高さは27.2m、天守台石垣高さは11.5m、総高38.7mである。本丸広場の海抜29.7m、合わせて海抜約70mとなる。1重の屋根には出窓の上に切妻破風と千鳥破風、出窓は3箇所に施されている。2重目の屋根には比翼千鳥破風と軒唐破風、入母屋造りの屋根には入母屋破風と軒唐破風と鯱が施されている。天守閣は白亜の壁が美しい約40mもの高さを誇る小田原のシンボル。コンパクトに見えるが真近で見ると大迫力が感じられる天守である。(2012)
 
 
 
 
 


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懸命の修復で蘇りつつある復興の象徴「熊本城」

2019-09-21 09:45:23 | 城・城郭
2016年4月16日に起きた熊本地震の本震から早いもので3年半が経過。市の中心に熊本のシンボルとして聳えていた「熊本城」、あの地震直後の武者返しといわれる石垣、大天守の崩壊、鯱の落下と目を覆いたくなる無残な姿に唖然とした。懸命の修復工事の甲斐あり「復興の象徴」としての「熊本城の大天守」が元の勇壮な姿を取り戻しつゝあり真新しい外観が姿を見せ、11月には大天守の石垣の積み直しが完了するなど着実に熊本地震前の姿に戻ってきている。昨年11月23日からは三の丸エリアの旧細川刑部邸で紅葉ライトアップされ、いよいよ来月10月5日~14日の「特別公開」も始まる予定。ただ全体完了は20年後である。地震のリアルな恐怖と人の力の凄さを痛感させられた。(1909)







 

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