相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

キャンプ座間「米国 独立記念祭」開催される!!

2018-06-30 19:37:12 | 祭り・イベント
本日(6/30)15:00から在日米陸軍キャンプ座間でアメリカ最大の祝日「独立記念日」を祝して行われる「米国独立記念祭」開催によりキャンプが開放された。一番ゲートにて身分証明書を提示し、ボディー・セキュリティチェックを受けてやっとキャンプに入場。一般開放ということで多くの日本人ばかりである。会場ではフリーマーケットや音楽ライブ、ゲームなどが催されるほかアメリカンフード、ドリンク、グッズなどを販売する屋台が立ち並び、どこのブースも長蛇の列ができていた。まさしくお祭り一色である。野外ステージでは米軍音楽隊がスタンバイ中であった。19時から「独立記念祭式典」が行われ、夜8:40から花火が打ち上げられる。(1806)














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朱塗りの本堂と二引の白旗「旗上弁財天社」

2018-06-30 13:51:42 | 神社
鎌倉市雪ノ下、鶴岡八幡宮、三の鳥居そばの源氏池に浮かぶ島に鶴岡八幡宮の境内社として鎮座する「旗上弁財天社」はある。創建は承久3年(1221)。源頼朝の旗挙げに際しては家運長久の守護神として弁財天が現れ、霊験があったと伝えられ北条政子が建立。幕政を好まず皇権回復を図る後鳥羽上皇に対し北条政子が当地に御家人たちを集め旗上げ(承久の乱)したことが興りである。主祭神は弁財天。他に多紀理毘売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命を祀る。弁財天は仏教の守護神、明治の廃仏毀釈で破壊されたが昭和31年(1956)に再興。現在の社殿は「鶴岡八幡宮」創建800年にあたる昭和55年(1980)に復元された。参道や島に並ぶ数多くの旗は奉納された源氏の二引の白旗。朱塗りの「本堂」と橋、境内裏手には源頼朝が北条政子の安産を祈ったと言われる「政子石」がある。朱塗りの社殿の周りは源氏池に囲まれまもなく蓮の花で埋め尽くされる。当社は鎌倉・江ノ島七福神札所の一つ「弁財天」を祀る。(1806)






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ビジネス街のオアシス「日比谷公園」

2018-06-30 09:20:23 | 公園・庭園
千代田区日比谷・都心のビジネス街の一角に幕末までは松平肥前守などの屋敷地であり、明治時代に陸軍練兵場となり、その後日本初の近代的な都市公園・洋風公園として整備しまさに都会の中の公園、ビジネス街のオアシスのような緑の空間「日比谷公園」はある。明治36年6月1日に開園、平成15年に100年を迎えた。園の広さは161,636㎡、芝生11,300㎡。園内にはイチョウ、クスノキ、スズカケノキ、ハナミズキ、マツ、ユリノキ、ツワブキなど3200本を超える樹木(中高木)ががあり貴重な緑のエリアを形成している。園内花壇には1年中、色鮮やかな梅や、バラなど四季折々の花が咲き誇りビジネス街に会社員達の憩いの場になっている。施設はまずシンボルの大噴水、大小の野外音楽堂や公会堂、図書館、テニスコート、児童遊園、軽飲食店、緑と水の市民カレッジなどがある。訪れた日、「小音楽堂」では「吹奏楽の演奏会」が催されており、大勢の観客で溢れていた。来月は朝顔展示、10月は苗木即売会、11月には菊花展が開催される。(1806)












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江戸城の遺構~史跡「皇居東御苑」

2018-06-29 14:52:56 | 公園・庭園
東京都千代田区の皇居の東側に面積約21haという広大な庭園「皇居東御苑」(宮内庁管轄)はある。ここはかつての江戸城の「本丸」、「二の丸」、「三の丸」跡であり、明治時代~戦前迄は宮内庁や皇室関連の施設があったところである。戦後(1963年)に特別史跡に指定され1968年10月から一般に公開されるようになった。大手町駅から200mという至近距離にある「大手門」前で手荷物検査を受け、入口で入園札を受け取り入場。緑豊かな雑木林の苑内には「日本庭園」や「皇室関連の施設」、「江戸城の遺構」などたくさんの史跡を見ることができ、国内、外からの多くの旅行者、入園者が訪れる人気のスポット、オアシスである。今年3月27日に開園以来3000万人の来場を記録した。苑内には「三の丸尚蔵館」、宮内庁管轄の「書陵部庁舎」&「楽部庁舎」、「桃華楽堂」、「同心番所」、「百人番所」、「大番所」、「富士見櫓」、「松の廊下跡」、石垣が見事な「江戸城天守跡」(天守台)、諏訪の茶屋等の施設、汐見坂から白鳥濠、日本庭園、雑木林など至る所に四季の花が咲き、今は「あじさい」がそろそろ終りを迎えようとしている。(1806)










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猿寺と称されていた「久遠山栄閑院」

2018-06-29 11:05:20 | 寺院
東京都港区虎ノ門に浄土宗寺院の「久遠山栄閑院」はある。久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が天徳寺の塔頭として創建。本尊は阿弥陀如来像。嘉永3年の火災に遭い、同4年再建するも大正12年大震火災に炎上し假建築のまま現在に至っている。寛永の頃(1624〜1643)猿回しに扮した泥棒が寺に逃げ込み住職に改心させられ猿を置いて諸国行脚に旅立ち人に慣れた猿は寺の人気者になったことに由来し「猿寺」と呼ばれた。「山門」を入り「本堂」右側より墓域に入る手前に江戸中期のオランダ外科医で蘭学の祖「杉田玄白の墓」がある。「解体新書」は誰もが知る日本医学史上画期的な文献であるが、ここで杉田玄白に参れるとはまさしく「一寺一会」である。(1806)






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