鎌倉市腰越2-9-1に昭和31年から39年にかけて基本施設を整備し、昭和39年10月に開港した「腰越漁港」がある。腰越地区は昔から漁業が営まれ、江戸時代になると「鎌倉六ヵ浦」の一つとして、江戸城などへ魚を献上しており、昭和初期には定置網が行われ、その後、はえ縄漁や沖合でのかつお一本釣り等を展開していた。現在は「しらす船びき網」、「わかめ養殖」、「小型定置網」などの沿岸漁業が主体となっている。腰越漁港で獲れた新鮮な魚介類や鎌倉野菜などの販売する朝市は有名で多くの人が訪れ列をなし賑わう漁港である。朝市は1月・2月・8月を除く、毎月第1・第3木曜日に開催される。買い物の後は漁港の目の前には江ノ島の観光が定番である。(2406)
山下公園=横浜港のシンボルとして特設桟橋に横浜市指定有形文化財に指定されている「日本郵船氷川丸」係留している。昭和5年(1930)竣工から30年間に亘って就航し「北太平洋の女王」と呼ばれた。「氷川丸」は当寺の最新鋭大型ディーゼル機関を搭載、大きさは全長163m、幅20m、重量11,622t。氷川丸は太平洋を横断した回数はは254回、運んだ船客数は2万5千余名。引退後は山下公園横浜港に係留させ一般公開を続け通算入場者数が200万人を超えたという。「相模太夫」も今日その一人に加わった。黒い船体、船頭の船名等々すべてがいぶし銀のごとき風格が漂っている。いよいよ船内に入場である。B-deckに受付がある。建物でいえば5階建て。最上階に当たるN1・N2-deckには船長室・N3-deckには操舵室、4階部分のA-deckには一等客室・一等特別室・社交室・読書室、ここに見学者用の「オープンデッキ」がある。3階部分のB-deckには一等食堂・児童室がある。2階部分のC-deckには三等客室と機関室、1階部分のD-deckには機関室(当時のディゼルエンジン=8気筒を2基)がある。百年前にしては一等食堂、社交室、喫煙室は一級の調度品、アールデコの装飾が配置され豪華客船であったことが窺える。(23t4)
藤沢市片瀬海岸=境川河口に隣接する第1種漁港でもある「片瀬漁港」がある。藤沢市の漁業協同組合が管理者である。 藤沢市には「江の島片瀬漁業協同組合」と「藤沢漁業協同組合」と2つの漁業協同組合があり「片瀬漁港」が漁業の活動拠点となり約100人の漁業者が漁業に従事している。江の島の海では刺網漁業・船引き網漁業・定置網漁業地引網漁業・一本釣り・養殖漁業など比較的陸から近い範囲で行われる「沿岸漁業」で獲れる魚の殆どは相模湾の「回遊魚」である。相模湾には約1,600種類の魚類、カニ類350種類、貝類1,100種類、 藻類380種類と豊富な海の幸がいる。陸には今朝漁に使用した網が干してある。また「江の島」へ渡る「弁天橋」の西側、「新江の島水族館」との間にある漁港にある「片瀬漁港直売所」は沖の定置網で水揚げされた魚を販売しており多くの人が買い物に訪れる。朝7時から昼までで売り切れ次第終了となる。また「マルシェ」では当日の朝に定置網で水揚げされたお魚と藤沢産の野菜やお魚をメニューに入れたキッチンかーなど漁業の魅力を楽しめるイベントも行われている。(2212)
「横浜ランドマーク」のそば「みなとみらい21地区」の石造りドッグに停泊しているのが白い船体の4檣バーク型帆船、その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた「日本丸」が停泊している。この帆船は1930年に商船学校の訓練帆船として建造されシアトル航路に華々しくデビューした。「日本の海の王者にふさわしい船にしたい」という我が国の海運に寄せる期待を込めて「日本丸」と命名された。定員は138名、全長97m、総トン数は2278t、総帆数は29枚、最高マストの高さは水面から46m。太平洋戦争後も現存する貨客船として、約半世紀に亘って地球を5.4周もする活躍をした日本丸帆船は数多くの実習生(海の若人)を育て1984年(昭和59年)に引退した。航海練習船としての役割は「日本丸II世」が引き継ぎ、姉妹船として「海王丸」がある。2017年(平成29年)に国の重要文化財に指定された。(2204)
今や横浜市の都心エリアの一部として横浜の新しい魅力を次から次に創造し発展を遂げた「横浜みなとみらい21地区」。「パシフィコ横浜」や「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」、「横浜ランドマークタワー」、「クイーンズスクエア横浜」、「よこはまコスモワールド」や「横浜ワールドポーターズ」、「横浜赤レンガ倉庫」と次から次に完成しショッピングだけでなくレジャースポットとしても魅力ある街となった。すぐ横浜港から平成元年開通の860mの斜張橋の「ベイブリッジ」が眺められる。その手前にもう一つ山下公園横浜港のシンボルとして特設桟橋に係留している横浜市指定有形文化財に指定の「日本郵船氷川丸」である。昭和5年(1930)竣工から30年間に亘って就航し「北太平洋の女王」と呼ばれた。「氷川丸」は当寺の最新鋭大型ディーゼル機関を搭載、大きさは全長163m、幅20m、11,622t。太平洋を横断した回数は254回、運んだ船客数は2万5千余名。引退後は山下公園横浜港に係留させ一般公開を続け通算入場者数が200万人を超えたという。黒い船体、船頭の船名等々すべてがいぶし銀のごとき風格が漂っている。(2204)