goo blog サービス終了のお知らせ 

相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

二宮町シンボル「吾妻山公園」菜の花ウォッチング 2015年

2015-01-31 08:40:26 | 公園・庭園
神奈川二宮町に万葉の昔から淘綾の里として相模湾に面する二宮町の美しい海浜とそれを眼下に一望できる吾妻山に造られ開園した「吾妻山公園」がある。標高136メートル、山頂までの急な階段(約300段)を登って山道を進めば頂上は一面芝生の広々とした空間、遮るものなく180度が見渡せる大パノラマ世界が待っている。展望台からは箱根、丹沢、富士山が手の届くわぅなちかさに感じられる。晴れた日には相模湾からは遠く大島や初島も見ることができる。快晴の今日少し雲を被った美しい霊峰富士山を拝むことが叶った。山頂の西側は1800m²の広さに植えられた4万5000株の早咲きの菜の花が見ごろを迎え「菜の花ウォッチング」が開催(2月8日(日)まで)されていた。期間中スタンプ&レシートラリー、週末とあって地場産品等の販売会、模擬店、雛の吊るし飾り展などのイベントを開催されていた。(1501)


















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京陸軍幼年学校の歴史を残す「長房山東照寺」

2015-01-30 11:19:06 | 寺院
八王子市長房町(長泉寺の隣)の丘陵南側に曹洞宗の寺院「長房山東照寺」はある。創建は永正元年(1504)、本尊は十一面観世音菩薩である。本寺乗寺中興開山空海禅忠禅師により草創、乗寺二世陽室慧暾大和尚を開山として平成16年開創五百年を迎えた。明治15年火災に遭い堂宇や古記録等を焼失したが、多摩御陵(大正天皇)造営に際し現在地に移転後、昭和3年本堂が落慶した。境内には左の塀際に細工が細かく豪華な「山門」と戦没した幼年学校生徒と職員十名の霊を祀る「東幼年観音」がある。「庫裏」の前に「本堂」、左に「客殿」、墓所への道の左側に「寂光堂」(納骨堂か)と「慈恩閣」があるがある。当寺は「八王子33観音霊場第14番札所」である。(1501)














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳川幕府より御朱印を賜る「玉鳳山長泉寺」

2015-01-29 18:39:43 | 寺院
八王子市長房町の丘陵の南側に徳川幕府より代々御朱印を賜る臨済宗南禅寺派の寺院「玉鳳山長泉寺」はある。開創は応仁元年(1467)、開基は秩父刑部小輔重昌公である。本尊は聖観世音菩薩である。寺宝として開基守本尊伝行基作の「薬師如来像」と伝運慶作「釋迦如来像」が保存されている。開山玉永元宝和尚にて永正元年8月1日寂(1504)、昭和3年多摩陵治定に伴い現在地に移転し、平成11年4月17日に本堂と客殿が改築された。当寺すぐ右側の丘に八王子市史跡となっている「石平道人墓所」がある。石平道人の木像「木造石平道人坐像」は八王子市文化財に指定されている。石平道人(本名鈴木正三)は三河国足助の武家出身で徳川家康の兵として関ケ原や大坂で戦功をあげた後、元和6年(1620)に42歳で江戸で出家した江戸時代初期の禅僧であり、諸国を回りやがて下長房村に「堅叔庵」を建てた。後に長泉寺と合併した。(1501)














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つの庭園をもつ「光明寺」

2015-01-28 19:52:31 | 寺院
日蓮宗や禅宗の寺院が多い鎌倉にあって数少ない浄土宗の寺院で関東大本山である「天照山蓮華院光明寺」がある。創建は寛元元年(1243)、開山は然阿良忠上人、開基は北条経時、本尊は阿弥陀如来である。開基以降浄土宗が関東以北に広がる礎となり、江戸期には徳川家康が浄土宗の学問所として関東の寺院を十八壇林と定め光明寺をその筆頭となり栄えた。朝廷との関係も深く山門には後花園天皇直筆の「天照山」の額が掲げられている。市内でも屈指の大寺院で広大な境内に建ち並ぶ伽藍は「総門」、「山門」、鎌倉一の木造古建築の「本堂=大殿」、「開山堂」、「鐘楼」、「客殿」、「庫裏」、「本坊」、「書院」からなる。そして二つある庭の一つ浄土式枯山水庭園「三尊五祖来迎の庭」は本堂右手に広がり、築地堀で囲まれた一画に八つの石が据えられている。浄土の五山を表現したものである。またもう一つの庭「記主庭園」は本堂と開山堂の間にある。配された池には古来花の大賀ハスが咲く浄土宗の総本山にふさわしい庭である。その奥に屋根に鳳凰を乗せる大聖閣がある。(1501)










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学問の神を祀る「松陰神社」

2015-01-27 14:45:31 | 神社
世田谷若林に幕末の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする「松陰神社」はある。学問の神として崇敬を集め参拝者全国に及ぶ。創建は明治15年(1882)。世田谷線「松陰神社前」から数分のところにあり鳥居を潜ると左手に「神楽殿」、「手水舎」、「社務所」、右手に「神輿庫」正面に「御社殿」がある。社殿の両サイドに松陰の50年祭に際し寄進された「26基の燈籠」が建ち並ぶ。社殿の右側には「松下村塾」の建物、左奥には松陰の「墓所」がある。30歳で処刑された松陰の生涯を想うとなんとも儚いが、今も脈々とい息づいているその精神、気概を胸にこの一年志高く生きなければならない。(1501)










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする