世田谷区代田、小田急線世田谷代田駅南方の環状7号線沿いに真言宗豊山派寺院「代永山円乗院真勝寺」はある。創建(伝)寛永初期頃までに代田村村民の菩提寺として創建。戦国時代、小田原北条氏の傘下にいた吉良氏の世田谷城が豊臣秀吉軍の小田原攻めの後、廃城となると、吉良家臣のうち代田七人衆によって寛永2年(1625)に建てられた。本尊は大日如来像。弥生時代追跡である円乗院遺跡は竪穴住居3が確認され多数の弥生後期の土器が出土している。「山門」を抜けると参道には石像、地蔵が祀られ、正面に「本堂」がある。本堂左に「薬師堂」、その並びに「観音堂」がある。本堂前には数十個の「蓮鉢」、高野槇の枯木、境内の一角には庭園もあり、池が配され鯉が泳ぐ。当寺は玉川八十八ヶ所霊場50番である。(1701)
相模が丘の住宅街を南北に貫く全長1.6kmの緑道「仲良し小道=さくら百華の道」はある。さくら百華の道には桜64品種、220本の多種多様な桜が植えられている。寒ザクラ、十月桜、河津桜、ソメイヨシノと秋と2月~5月まで順次、見ごろの桜を楽しめる新しい座間の緑道=遊歩道である。桜のほかにも様々な花木が植えられ一年を通じて四季の彩りを楽しめる。4月上旬の気温となった今日、相模が丘「仲良し小道」の起点小松原交差点付近に数本ある「河津桜」が早くも見ごろを迎えピンクの愛らしい花びらを広げ開花。今年初の桜撮りである。「メジロ」も休息と蜜を吸いにやってきていた。やはり桜は春を感じ、心躍らせる花の一つである。(1701)
「梅に鶯」。どちらも春を告げる花、鳥である。梅は春先、一番初めに花をつける植物。鶯は春先に「ホーホケキョ」ときれいな 声で鳴く春告げ鳥。取り合わせがいいこと、つりあいがとれてよく似合っていることから万葉集にも詠まれた。鴬は笹藪などの茂みを好む鳥で人目につく梅の枝に鴬が留まるということは無く、なにより鴬の羽色は茶色がかった褐色。餌は昆虫を食べ花の蜜は吸わない鳥である。梅の枝にやってきてその花蜜を吸うことを好む鳥がメジロで羽色は黄色がかった濃緑色、喉の辺りは黄色をしている。どうやら「梅に鴬」ではなく「梅にメジロ」が本当の組み合わせのようである。いずれにしても百花に先駆け開花した梅、その蜜を吸いにやってきたメジロ、もう春はそこまで来ている証である。(1701)
世田谷区代田に代田村の鎮守「代田八幡神社」はある。創建(社伝)は天長10年(833)。天正18年(1590)小田原征伐で後北条が滅亡、配下の世田谷城主吉良氏は実相院に篭居し、吉良氏の家臣が代田本屋敷に土着・帰農後の天正19年に宇佐八幡宮が勧請さした。社の下に環七が整備社地の東側半分が収容され半減した。御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功天皇。世田谷代田駅より環七を横切ったところに位置し、喜多見氷川神社の鳥居に次ぎ古いと言われる明神鳥居の形式の「鳥居」(寛永16年(1639)建立)を抜けると右手に「神楽殿」、その奥に「本殿」がある。本殿の左に「社務所」、境内社(末社)として春日祠の右に「春日社」、「 神明社」、「夷子社」、「大黒社」、「辨天天神合社」がある。(1701)
世田谷区代田、小田急線「梅ヶ丘」駅そばに世田谷区立の都市公園で梅の名所として知られる「羽根木公園」はある。「世田谷の名所にしたい」と当時の区議会議員全員で梅の木を植樹したのが始まりのようである。公園は全体として丘状の地形で古くは一帯に「六郎次」という野鍛冶が住んでいたと伝えられ「六郎次山」と呼ばれた。後に根津財閥の所有地となり「根津山」とも呼ばれた。1956年に都立公園として開園、1965年に世田谷区に移された。公園の面積は約8万㎡、その一角にある梅林には紅梅約230本、白梅約420本の計650本の梅の木が所狭しと美しく植えられている。梅花の色自体は紅・白・ピンクの3種類だが花弁はそれぞれ異なり見ていて飽きない花姿をしている。今年は開花は例年に比し二週間ほど早いといわれ昨日現在で殆どの木が可愛らしいい花びらを広げ梅の香りを漂わせて咲いている。来月11日~3月5日までの一ヶ月間、毎年30万人以上が訪れるという「第40回せたがや梅まつり」が開催されるが来週には見ごろとなりそうな勢いである。期間中は記念式典、イベント(抹茶サービス、筝曲・太鼓演奏、野点・茶席、餅つき、植木・園芸市、物産展など)盛りだくさんである。百花に先駆けて咲く梅の花は皆の心をときめかせ虜にしてしまう花である。(1701)