連日続く猛暑の夕刻「浅草」から乗船し「日の出桟橋」まで45分間の「隅田川クルーズ」の旅、束の間の船上人となった。後方部にて愛機を構え、エンジン音を耳に波しぶきを受け、左右に広がる高層ビル群、東京スカイツリーの景色を視界に捉えながら江戸時代までは浅草川と呼ばれていた隅田川に架かる「12個の橋」を気持ちよく潜っていく。先ずはスタート地点でお馴染みの「吾妻橋」、「駒形橋」、「厩橋」、「蔵前橋」、「総武線隅田川橋梁」、「両国橋」といずれも架けられた年代は異なるがひとつ一つの橋はそれぞれ色・形が異なり個性的な美しさである。橋にまつわるたくさんの歴史や名所があり隅田川には欠かせない存在となっている。遠くに「ベイブリッジ」も見える。いよいよ来年はオリンピック、海外の観光客にもたくさん乗ってほしいものである。(1908)
箱根と言えば足柄下郡箱根町に「箱根山の堰止湖」、そして毎年正月に開催される東京箱根間往復大学駅伝競走の往路ゴール、復路スタート地点としても知名度高く多くの観光客が訪れる「芦ノ湖」はある。湖畔を中心に観光名所やリゾート施設が数多く点在する観光地で、富士山も望める景勝地として、また湖上からは海賊船が進む波の模様、左手には茶褐色の「山のホテル」、「箱根神社」の赤い鳥居が望める。芦ノ湖に来たからにはやはり桃源台→箱根町→元箱根→桃源台の周回を航路としている「箱根観光船=箱根海賊船」に乗らなければならない。現在「バーサ」(定員 650名) と「ビクトリー」(定員 500名)、「ロワイヤルII」(定員 565名)の三隻が運航している。往路は「ビクトリー」、帰路は「パーサ」に乗船した。「ビクトリー」は18世紀にイギリスで建造され数々の歴史的な海戦で活躍し、現在も記念艦として保存、展示されているイギリス国民のシンボル的な戦艦ビクトリーをモデルにしており、船体の色や内装は当時の雰囲気を再現海賊船282t、船長は35.00m、船の幅10m。「バーサ」は17世紀前半「北欧の獅子」と呼ばれ北欧に威をふるったスウェーデン国王グスタフ・アドルフが建造し、唯一現存する17世紀の戦艦バーサ(初代スウェーデン国王)をモデルとした豪華な彫刻に飾られた海賊船で308t、船長は35.76m、船の幅は10.00mである。船全体に色んな装飾、彫刻が施され優美でカッコいい海賊船による避暑と優雅な遊覧のひと時である。(1708)
宮城郡松島町松島に260余りの島々が点在し独特な景観を創り出され、その美しさから平安の世から歌に詠まれたり、松尾芭蕉の旅日記「奥の細道」にも登場したり、絵画にも描かれ天橋立、宮島(厳島)と並んで日本三景の一つとなっている「松島」(湾)はある。海に浮かぶようにそれぞれ形の異なった島々が点在する松島湾は氷河期以降の地殻変動や地盤沈下・海面上昇など地球規模の自然の歴史を経て約5000年前に現在の松島が造られた。東日本大震災で島が割れたり、樹木が倒れたり、流されたりしたが津波を食い止める防波堤となり被害を抑止し、6年後昔の美しさを取戻した松島は「四大観」と呼ばれる4つの絶景ポイントかありそれぞれ「壮観」、「麗観」、「偉観」、「幽観」と表現されている。小雨降る中、松島湾内で一番大きく、テレビや映画の撮影でもよく利用される最も豪華な客船(227トン、400名)である「あおば」にて「松島」から「塩釜」迄の約50分の船旅(Cコース)、船上人となった。いよいよ11時出発。後方にスタンバイするとものすごいエンジン音と共に白い波、飛沫があがる。船内には各島の仁王島、鐘島、千貫島、かぶと島、よろい島と、松島の島々の特徴や謂れアナウンスされる。大自然が生み出した景色の壮大さ、松島の大パノラマに酔いしれる至福の時間が流れた。(1706)
横須賀市久里浜港(三浦半島南端)から東京湾入口にあたる浦賀水道を横断し富津市金谷港(房総半島南端)まで11.5Kmを所要時間は40分で結ぶ貨客フェリー「東京湾フェリー」に乗船する。今日のフェリーは「金谷丸」(3580t/79m)で時速13ノット/旅客定員580名である。このフェリーは1階が駐車場となっていて車両積載数はトラック36台、乗用車110台、バス16台。2階と3階は客室の3階建である。アッパーデッキから比較的穏やかな東京湾の景色、そして行き交うさまざまな船と出会い、心地よい風を肌に感じ、海を切る波を見ながらの快適なクルージング。束の間の「船上人」となる。金谷港にある「ザ・フィッシュ」にて海鮮丼の昼食を頂く。(1606)
山下公園の特設さん橋に係留されているお馴染みの「日本郵船氷川丸」が「国の重要文化財」に指定された。戦前に国内で建造された唯一の現存貨客船、社会・経済史上における役割と造船・工芸技術上の価値があると評価されたようだ。「氷川丸」は全長163.m、幅20m、11,622t。1930(昭和 5)年 4月25日竣工しシアトル航路就航がスタートである。最終航海は1960年(昭和35)30年間現役として従事した。引退後、山下公園に係留した「 日本郵船氷川丸」の通算入場者数が200万人に到達したという。いつの日か国の重要文化財となった内部を見てみたいものである。(1604)