相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

平塚発祥の地「平塚の塚緑地」

2023-07-16 11:35:32 | 史跡・遺跡
平塚市平塚4丁目、日蓮宗寺院「要法寺」の西隣に平塚発祥の地、当地地名の由来となったとされる史跡「平塚の塚緑地」はある。平安時代の中期、天安元(857)年、桓武天皇の孫・高見王の娘である政子が京都から東国に下る途中にこの地で没し、その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らだったことから「平塚」という地名が起こったといわれています。現在は石造りの囲いに囲まれた高さ1mほどの塚が築かれ中央が元平塚市長戸川貞雄揮毫の「由来碑」(眞砂子と表記)、左側が「平塚碑」(政子と表記)が建てられている。傍らに政子が葬られて以来三代目とされる「松の巨木」が植えられている。平塚の歴史の古さが伝わってくる場所である。(2307)
 
 
 
 
 
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島津公と縁のある「松風山晴雲寺」

2023-07-16 08:29:21 | 寺院
平塚市立野、光圓寺のはす向かいに浄土宗寺院「松風山晴雲寺」は鎮座している。創建は天正18年(1590)。本尊は阿弥陀如来。当寺は昭和20年までは平塚駅前にあったが戦災で全焼に遭った後、戦後の都市計画で現在地に移転した。馬入川で川止めに会った鹿児島の「島津公一行」が当寺に宿泊した縁により島津公の紋章を頂いたとの謂れがある。平塚駅より東海道崇善小前信号を渡った住宅街の一角に構えられている大きな「山門」より入山すると石畳の参道が続き、手入れされた庭の正面に昭和34年(1959)に再建の入母屋づくりの「本堂」、その左手に「庫裏」、本堂右手には「勢至丸様坐像」や「阿弥陀像」、「名号塔」、「百万遍念仏供養塔」が建ち並んでいる。当寺は平塚第二の「蓮寺」と呼ばれ境内には大きい蓮鉢が十個近く置かれている。今年は時期尚早なのか紅白の「ハス」の花が2輪ほど咲いていた。また当寺の墓地内には平塚八幡宮の青銅大鳥居を寄進した「本誉還真上人の墓」、「番町皿屋敷のお菊の墓」がある。当寺は相模新西国三十三観音霊場15番札所で「船越聖観音」を安置している。(2307)
 
 
 
 
 
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