世田谷区宮坂に源義家が勧請した「世田谷八幡宮」はある。天文15年(1546)世田谷城主7代目の吉良頼康が建立。祭神は応神天皇(八幡大神、仲哀天皇、神功皇后である。三年の役帰途、源義家が当地で豪雨に遭い滞在を機に今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護と思い、宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請し祀ったの伝えがある。世田谷線=宮の阪駅を下車すると城山通りの前方には大きな一際目を惹く赤い「鳥居」が建っている。鳥居を抜けると正面に鎌倉鶴岡八幡宮を模して造られたという鮮やかで美しい朱色の「社殿」、左手に「社務所」がある。鳥居の右手には「弁天池」、「厳島神社」、奥に「高良神社」の境内社、境内には奉納相撲の「土俵や力石」、そしてクロマツ、アカマツ、クスノキ、ケヤキなどの大径木の社寺林が残り落ち着いた雰囲気の神域を醸し出していた。(1601)










