相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

新戸の古刹「本鏡山常福寺」で「ヤナギバルイラソウ」と一会!!

2024-07-04 16:26:20 | 寺院
相模原市南区新戸に当地の古刹とされる「本鏡山常福寺」は鎮座している。「シバの木」が聳える裏門の一画に「ヤナギバルイラソウ」(柳葉ルイラ草)が数株植栽されており今、数十輪ほど紫色の5弁花を咲かせている。別名は「ムラサキイセハナビ」、「ヤナギバスズムシソウ」である。メキシコ原産の外来植物で帰化植物、キツネノマゴ科のルイラソウ属。繁殖力の高さと外来種から雑草扱われ、現在は駆除対象の植物。草(花)丈1m弱、葉は対生し線形~披針形の長さでヤナギのような細長い葉脈は紫色を帯び縁には鋸歯をつけている。「花」は葉腋からでた花茎の先につき、漏斗型で先は5裂、淡青紫色である。花期ちょうど今頃から11月まで。この花は芙蓉と同じく一日花で夕方になるとめしべを残し花がするりと落ちる短命である。(2406)
 
 
 

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磯部の古刹「磯平山能徳禅寺」

2024-07-04 09:27:40 | 寺院
相模原市南区磯部、磯部頭首口の近くに鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元の流れをくむ下溝の「天応院」の末寺で磯部の古刹とされる曹洞宗寺院「磯平山能徳禅寺」は鎮座している。創建は室町時代末期(1500年)頃。本尊は如意輪観音である。禅寺の「山門」の脇には「不許葷酒入門」という戒壇石に刻む句と六地蔵がある。「山門」より入山すると手前に「鐘楼」、正面に入り母屋造りの「大本堂」、その左に「庫裏」がある。庫裏の前のやや小高い丘には白い「観音像」が建てられ寺域を見守っている。当寺は初夏には藤の花、秋には鐘楼前の「イチョウ」、観音像の周辺の「カエデ」の紅葉で彩られる。(2406)
 
 
 
 
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新戸の古刹「本鏡山常福寺」では「萩」が開花し始めた!!

2024-07-03 07:28:10 | 寺院
相模原市新戸の霊峰「雨降山」(大山寺)を望む緑豊かな地に建長寺の末寺、曹洞宗寺院「本鏡山常福寺」は鎮座している。創建は約700年前。本尊は釈迦如来。当寺は冬は「梅」、春は「桜」、秋は「萩」、「紅葉」と四季毎に境内は美しく彩られる。境内に入る石段の前には樹齢400年を越える古木「しばの木」が聳える。当寺は禅寺として江戸時代には「寺子屋」を開き、当地の学問の中核をなしていた。山門を抜けると正面に入り母屋造りの「本堂」、右に庫裏がある。「山門」前に美しい「竹林」があり数十本の紅白の彼岸花が咲いている。「しばの木」がある裏門の石垣に30本超えの紫紅と白色の「萩」が植栽されており今、一分咲きとなって石垣を彩り始めている。ハギは秋の七草の代表花満開となると石垣は流れる滝のような萩景を創り出す。当寺は新戸の唯一の「萩寺」である。(2406)
 
 
 
 
 
 
 
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「おんめさま」と呼ばれている「長慶山大朽寺」

2024-06-30 07:25:34 | 寺院
鎌倉市小町に四季の花が咲く寺、今の時期は「あじさい」で安産安産祈願の寺「おんめさま」として親しまれ知られる「比企谷妙本寺」を旧本山とする日蓮宗寺院の「長慶山大巧寺」は鎮座している。本尊は産女霊神。「お産女様」(おうめさま)が訛って「おんめさま」となった。天文元年(1532)日棟上人が難産で死んだ秋山勘解由の妻の霊魂を鎮めるために産女霊人として奉ったことによる。500年近い寺歴を有すしかつては十二所・明王院裏手の梶原景時屋敷内にあった真言宗の「大行寺」であるが、源頼朝がこの寺で戦略を練ったところ大勝したことから現在の「大巧寺」と改称した。日蓮上人が鎌倉在住の時、真言宗から日蓮宗へ改宗し日澄を開山した。元応2年(1320) 鎌倉時代末期の執権・北条高時の時代に移転した。薬医門形式の朱色の「山門」を抜けると四季の花で彩られる庭園の先に左に「本堂」(天保9年改築)がある。本堂内には極彩色の木彫り絵が7行9列計63枚の「天井画」が素晴らしい。境内には墓石として「産女霊神」、「福子霊神」、「浜名豊後守時成一族墓」がある。(2306)
 
 
 
 
 
 

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日親ゆかりの日蓮宗寺院「叡昌山妙隆寺」

2024-06-28 09:44:56 | 寺院
鎌倉市小町に中山法華経寺を旧本山とする「鍋かむり」で知られる日親ゆかりの日蓮宗総寺院「叡昌山妙隆寺」は鎮座する。創建は至徳2年(1385)。この一帯は鎌倉幕府の源頼朝御家人の千葉常胤の子孫「胤貞」の別邸「千葉屋敷跡」に祖先追福のため七堂伽藍を建立が興りである。中山法華経寺の日英上人が開山。足利将軍家の日蓮宗への改宗を目論み、永享12年(1440)立正治国論を著して直訴を試みたが投獄され、拷問を受けた際に灼熱の鍋を被せられたまま説法されたことから「鍋かぶり上人」、「鍋かぶり日親」と呼ばれている。本尊は釈迦牟尼仏。日蓮聖人辻説法跡地前の右手に位置し「寺号標」(寺門)から参道中ほどに構えられた「山門」を抜けると正面に入り母屋づくりの「本堂」、その左手に「寺務所・札所」がある。「本堂」右手には百日寒行をした「血の池」跡が残されている。当寺は鎌倉七福神の寿老人を祀っている。(2406)
 
 
 
 
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