相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

岩崎三代が築いた名石の庭「清澄庭園」

2019-04-30 15:06:53 | 公園・庭園
東京都江東区清澄に緑陰の水面に歴史を映す明治時代の泉水、築山、枯山水を主体とした「回遊式林泉庭園」で、清澄のオアシス的存在の「清澄庭園」はある。この地は江戸の豪商「紀伊國屋文左衛門」の屋敷跡と言い伝えら、享保年間(1716~1736)に下総国、関宿の藩主「久世大和守」の下屋敷となり庭園のもとが形造られた。明治11年に岩崎弥太郎が邸地を含む約3万坪を取得し社員の慰安や貴賓の招待場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として開園した。その後も墨田川より水を引いた「大泉水」や築山、全国各地から名石を取り寄せ配した。園内は「大泉水」を要として中之島、鶴島、松島、綱渡り、大磯渡り、凉亭、大正記念館、富士山などが巧みに配されている。また当園は海、川が近いことから多くの鳥が休息にやってくる。40年前に「東京都の名勝」に指定されているだけに本当に美しい庭園である。(1904)











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清澄のオアシス「清澄庭園」の大泉水でバードウォッチング!!

2019-04-30 11:39:43 | 野鳥
江東区清澄に泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」東京都の名勝に指定されている清澄のオアシス「清澄庭園」はある。この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡といわれ、その後明治11年に、岩崎弥太郎が荒廃した邸地を社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として竣工した。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成した。面積は庭園部分が37,434㎡、公園部分が43,656㎡。園内には要の「大泉水」、「磯渡り」、「名石」、「富士山」、大正記念館、涼亭、芭蕉の句碑が配されている。川と海に近いこともあって種々の野鳥が「大泉水」に飛来してくる。この日は「カモ」、「シラサギ」、「アオサギ」、ホシハジロ、キンクロハジロが優雅に泳いでいたり、餌をついばんだり、時折池の上を飛んだりと鳥の生態、習性をまじかで見ることができ、束の間のバードウォッチングであった。(1904)











 
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かつて霊厳寺の塔頭であった「正覚院」

2019-04-30 09:52:52 | 寺院
江東区三好に関東十八檀林「道本山霊厳寺」の塔頭であった浄土宗寺院「正覚院」はある。寛永6年(1629)に霊巌寺とともに創建された。開山は霊巌上人、開基は尼崎の城主桜井家である。明暦の大火(1658)で焼失後、霊巌寺とともに現在地白河に移転、霊厳寺と共に寺歴を刻んでいる寺院で関東大震災後「開善院」、「光明院」を合併し現在に至っている。御本尊は阿弥陀如来。「道本山霊厳寺」の前にあり伝統的な入り母屋造りの大きな本堂はある。昭和初期「冬木弁天」あたりに悪さをする白いきつねが出没、捕獲後この寺に白狐塚を造り大祭をした伝えもある。(1904)






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葛飾北斎も描いた小名木川に架かる橋「萬年橋」

2019-04-30 09:14:47 | 橋梁・鉄橋
東京都江東区において小名木川に架かる橋で第一橋梁の「萬年橋」はある。江東区道第3124号線(萬年橋通り)を通し、北岸は江東区常盤1丁目、南岸は江東区清澄1丁目と2丁目を分かっている。当橋のすぐ西側で小名木川は隅田川と合流、東側には「新小名木川水門」が設置されている。昭和5年(1930)に開通した萬年橋の構造形式は1径間下路ブレースドリブタイドアーチ橋、鉄筋コンクリート床鈑、橋長は56.25m、幅員は17.2mである。萬年橋が架橋された年代は定かではないが延宝8年(1680)の江戸地図には「元番所のはし」として橋の記載がある。江戸時代初期にこの橋のすぐ北側に小名木川を航行する船荷を取り締るために「川船番所」が置かれていた。小名木川は江戸市内へ行徳の塩や近郊農村で採れた野菜、米などを船で運び込むための運河であり、架けられた橋はいずれも船の航行を妨げないように橋脚を高くしていたが、萬年橋は中でも特に大きく高く虹型に架けられていたことから、その優美な姿を愛された。葛飾北斎は富嶽三十六景の中で「深川萬年橋下」、歌川広重は名所江戸百景の中で「深川萬年橋」として描いている。関東大震災復興計画により現在の橋に架け替えられた歴史を有する橋である(1904)






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さがみの仲良し小道では満開の「藤の花」が彩り!!

2019-04-29 21:32:19 | 道・緑道
相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけて総延長5キロメートルにわたって「相模原の道・橋・花~さがみはら百選~」のひとつ「さがみの仲よし小道」がある。かつての「相模原台地」に昭和23年から16年をかけ「畑かん水路」を作った。その後、相模原台地は現在の市街地として発展、この水路敷きを活用した緑道が現在の「仲良し小道」である。平成16年3月現在3,616メートルが緑道として整備され今や地域住民のコミュニティーラインとなっている。その「仲良し小道」緑道沿い相模台二丁目辺りにさほど大きくはないが幅5メートルくらいの「藤棚」があり、今、いくつもの美しい薄紫色の花房をしだれさせ満開・見ごろを迎えている。そして間もなく随所に植えてある市の花「アジサイ」が美しく彩り始める梅雨期が近づいている待ち遠しい限りである。(1904)






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