「高幡不動尊」の境内に聳える「五重塔」の地下には「千体仏」が祀られ、左奥は、休憩所となっている。入口正面には等身大の弘法大師像、そして釈迦三尊像、本尊のミニアチュア、大黒天、弁財天、五大明王の彫刻、大威徳明王、金剛夜叉明王、降三世明王、その背後には金色の小さな仏さまが千体が祀られている。千体仏前のスペースでは参拝者、写真愛好家が梅雨期「高幡不動」の境内を彩った「あじさい」を撮った写真展が催されている。釈尊の生涯レリーフがあり写真を眺めながら、観音様、千体仏に見守られしばしの休憩。(1709)
多摩市落合に高幡村金剛寺末、落合白山神社の別当を勤めていた真言宗智山派寺院の「青木山(落合山)東福寺」はある。慶長年間(1596-1615)掘合堰にあった修験蓮乗坊が現在地に移転、元和年間(1615-1624)に草創した。本尊は不動明王である。多摩市史によると明治十三年の「寺禄明細帳」に檀家戸数26戸と記されている。「標門」から「山門」を抜けると正面に「庫裏」、その横に「本堂」がある。境内には弘法大師、六地蔵、菩薩像がある。当寺は多摩八十八ヶ所霊場13番札所である。当寺の背後にある丘陵に「落合白山神社」がある。(1709)
相模原南区新戸、相模線から相模川の間一帯には「水田(稲田)」が広がって今、黄金色に輝いている。お米を作ることは大変な労苦である。田んぼ、苗の準備、田植えその間の除草、害虫駆除などの作業から5カ月という長い期間が掛かる。梅雨時には台風、大雨に耐えなければならない。9月になり、稲穂も首を垂れるほど実ってきた。今月中旬から稲狩りが始まりお米の収穫シーズン到来となった。既に稲刈りが終わり「ハゼ」に架けられ乾燥中の棚田、まだこれから稲刈りがされるエリアと生育状態と農家によって異なるようである。黄金色に広がった自然の芸術とでもいうべき「稲穂美」にうっとり。間もなく美味しいお米がお店に並び食する日ももうすぐであろうか??(1709)
都西南部の多摩丘陵に位置する「八王子、町田、多摩及び稲城」の4市に亘る総面積2,853ha、東西14km、南北2~3kmの地域に住宅難解消、居住環境の良い宅地や住宅を大量に供給することを目的として半世紀前(昭和40年だから53年)できた都下のベットタウンの象徴「多摩ニュータウン」はある。累計戸数は3万戸、人口も平成22年で26万人。都心へのアクセスも30分と抜群である。小田急、京王、多摩モノレールの多摩センター駅に降り立つと駅前からメインストリートでもいうべき「パルテノン大通り」が南に向けて緩やかな上り坂となって「パルテノン多摩」で伸びている。「パルテノン」はもちろんギリシャのパルテノン神殿からきている。この通りの両側にはカラフルな建物が建ち並びどこかヨーロッパの街に下りたのではないかと錯覚するほどの美しい街となっている。東側「多摩カリヨン館」、「丘の上プラザ」、「丘の上パティオ」商業施設が並ぶ。ホテル、デパート、スーパー、レストラン、博物館、美術館、遺跡、公園、広場、サンリオキャラクターに会える屋内型テーマパーク「サンリオビューランド」がずらり。特に年末には街全体がイルミネーションで彩られ多くの人が訪れ賑わう。(1709)
多摩市落合に全国に三千余を数える白山神社の総本社「白山本宮」として崇敬されている一社「落合白山神社」はある。創建年代は不詳であるが出土した木像四体より推測すると五百年前に建立されたのち再興された推定される。落合旧記・武蔵風土記稿では江戸時代に加賀一ノ宮「白山比咩神社」の社霊を勧請し、元和四年(1618)霜月十一日遷宮の「棟礼」があり、別当寺としてすぐ近く西に今もある「青木山(落合山)東福寺」を配し白山大権現を奉祀する。明治の神仏分離により「白山神社」と改称した。祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱である。多摩ニュータウンの華やかな街のサンリオビューランドそばの丘陵にあり、なだらかな石段を上ると鳥居がありその正面に「拝殿」があり、左に社務所と手水舎、右奥に一社境内社もある。