2018年は大阪地震、西日本豪雨、北海道地震と今年の漢字にも選ばれた「災い」の多い年であったが、あと一時間半で終わろうとしている。「今年の相模太夫の旅歴・旅録」を振り返ってみると先ずは新年の初詣を兼ね旅の安全、いい被写体との巡り合い祈願に地元の神社からスタートした。今年の国内旅行では赤城三山、熊本、福岡であったが、潤沢な時間を旅の多くは寺社巡りに費やした。印象に残った寺社では世界遺産の福岡の宗像大社、太宰府天満宮、赤城三山、大宮の氷川神社、神奈川の日向薬師、鎌倉の寺社、出雲大社相模分祠など300社寺を数える。またイベントとしては各地で開催されたの桜祭りから、横浜国際仮装行列、平塚・橋本の七夕まつり、帆掛け舟、もんじぇ祭り、東林間サマーワニバル、大和あわおどり、よさこいランブーなどの夏祭り、ハロウィン、大道芸、エイサー、コンサート、イルミネーション、花火、写真展、絵画展、花を主役とした初冬の梅から始まって春の桜、チューリップ、石楠花、クレマチス、初夏のアジサイ、菖蒲、真夏のヒマワリ、秋は彼岸花、モミジ、落葉樹の紅葉、黄葉と四季の移ろいを求撮・追撮した。その他鳥、小動物、天体、月、城、乗り物、建造物も恰好の被写体のターゲットとなった。小旅行、ツアー、外出、散策、散歩など住居を一歩出たら旅と定義し、旅に費やした日数はほぼ半分近い150日、公園が200箇所、寺社が300件、撮影枚数も5万枚越えとなった。相模太夫の人生の歩みの一環として旅の訪撮はほぼすべて旅録(ブログ)として500件を超える投稿、お陰様で50万件という過去最高アクセス数を頂戴した。心より感謝致します。(1812)
藤沢市西富にある時宗総本山「遊行寺」の山内末寺で脇寺の高格式の寺、別称を「赤門」と呼ばれている「眞徳寺」はある。創建由緒は不詳であるが大正7年に本堂一宇を建立させて「栖徳院」として再興。本尊は阿弥陀三尊。藤沢上人が法燈をつぎ本山に入山する際あるいは講中の宿泊所であった。当寺は昭和19年(1944)に真光院、栖徳院、善徳院、貞徳院を合併し「眞徳寺」と改称した。この特徴ある「赤門」は鎌倉北条氏邸より寄付たものである。また黒門を入ってすぐ左手に真徳寺の墓域がり「国定忠治」の一の子分として知られている「板割浅太郎」の墓がある。(1812)
藤沢市大鋸に源頼朝が静岡の「三嶋神社」を勧請したのが始まりといわれる真言宗寺院「三嶋山感応院瑞光密寺」はある。開基は源実朝、開山は道教である。創建は建保6年(1218)で800年の寺歴を有し、藤沢宿では「白王山荘厳寺」に次ぐ最古の寺である。本尊は不動明王。慶長14年(1609)には江戸幕府より「檀林所」として指定されている。藤沢橋の交差点から国道1号線を東京方面右側よりほどなく右の角を曲がると突き当たりにある。「山門」を抜けると正面に入り母屋造りの「本堂」、本堂前には弘法大師像、鐘楼、二つの石碑がと十三重石塔がある。境内右手には源頼朝が勧請した「三島大明神」がある。源頼朝が建てた長谷寺の輪蔵のように経が納められている回転する堂がある。当寺は相模国準八十八ヶ所霊場の一番札所である。(1812)
相模原市南区に四季の花が絶えない、市民のオアシスとなっている「相模原麻溝公園」はある。センター広場から「花の谷」にかけての散策路スロープ左右に各一本の「クロガネモチ=黒鉄黐」の木がある。クロガネモチは「苦労がなく金持ち」に通じるネーミングから縁起木として知られる。クロガネモチは樹高10mから15m程ある大きな木である。クロガネモチは5月から6月に淡紫色の花をつけ、秋冬(10~1月)に球形で直径6mmほどの小さな赤い実を沢山つけ公園や庭を彩りひと際目を惹く花の少ない冬を彩る希少な存在である。この実は小鳥たちが好んで食べることから、運が良ければ鳥の糞から庭に勝手に生えることもあるとか。(1812)
相模原市南区麻溝に四季の花で彩られ市民の憩いの場となっている「麻溝公園」はある。センター広場から花の谷にかけて作られているスロープの内側にニホンズイセンと思われる「スイセン=水仙」が可愛らしい上品な白い花をつけ咲き始めている。スイセンは雪の中でも春の訪れを告げるので「雪中花」とも呼ばれる。開花時期は12月中から翌4月中迄。早咲きは正月前頃に咲き出すものもある。スイセンはスイセン属、ヒガンバナ科の属のひとつでニホンズイセンやラッパスイセンなどがある。色や形の異なる種や品種が多くありこの属に含まれるものを総称して「スイセン」と呼ぶ。スイセンは多年草で冬から春にかけて白や黄の花を咲かせる。花姿も蕾をつけ出すと横向きに、やがて蕾を覆っていた包を破って開花。6枚の花弁と筒状の花びら他の花とは異なる独特の花姿に魅力がある。スイセンの花言葉は「思い出、記念」、「持って生まれた素質」 である。「初雪や水仙の葉のたはむまで」と松尾芭蕉も詠んでいる。(1812)