「読売こころ塾」が小野田寛郎さんをゲストに迎えて大阪市中央区
にある大槻能楽堂で午後2時から開かれ出かけた。
応募者は1500人以上だったらしい。抽選で当選した人が
立ち見もいれて500人以上が集まった。第一部は最初の
10分はビデオにまとめた小野田さんの半生がスクリーンに
映されたあと小野田さんが約50分講演された。
第二部は、宗教学者の山折哲雄さんと司会者をいれていつも通りの
鼎談の形をとり、午後4時まで、ひとことたりとも聞き逃すまいと
静まり返った会場で多くの感銘深い話を聞くことが出来た。
小野田さんはルパング島で29年間過ごした後、日本へ帰還。
1年置いてブラジルで牧場を8年間、金属バットで子供が親を
殺す事件がきっかけで帰国、福島県で、自分で生きていくことは
どういうことかを教える「自然塾」を開いて23年になる。
講演は参加者からあらかじめ寄せられた質問に答える形で進んだ。
1番印象に残った言葉は、「殺しに来た人間には遠慮するな。」
2番目に、「自由の裏に責任がある。権利の裏に義務がある。」
3番目に、「自分の健康には100%気をつけた。」
質問の中で多かったのは、「29年間何を食べていたのか。」
牛を殺して食べた。自分のからだを養うためである。肉の
腐敗を防ぐために火にかけ乾燥させた。燻製にして一枚150
グラム程度に薄くした。一日300グラムは食べていた。
後はバナナ、やしの実。バナナが多くなり肉が減ると痩せた。
ジャングルには医者もいない。薬もない。まず健康。食べ物を
確保するためには遠慮しなかった。民家から頂戴した。牛は一発で
しとめた。山奥へ持ち帰るのは大変な作業だった。夜火を焚いた。
食べることの次は着ること。衣類はぼろぼろになる。針を手に
入れて着物を作った。針は錆びて使えなくなる。鋼から造るが
簡単に出来ると高をくくっていたが苦労した。お腹を冷やさない
ようにズボンは下を詰めた。
水にも注意した。アメーバーに命をとられてたまるかと
いつも自分に言い聞かせていた。健康が一番だということばが
小野田さんの口からたびたび出てきた。お腹を冷やさないように
注意したという言葉が特に印象に残った。
相手と戦っていることを見せねばならない。この島にいることを
見せ付ける必要があつた。自分の存在を誇示した。命をとりに来たものは
遠慮しなかった。93回敵に遭遇した。
敵に遭遇する。相手が探しているときは目がきょろきょろして
いる。相手の目がとまると撃ってくるなと分かる。相手の目が
とまったときは見つけられた時だという言葉も印象に残った。
自然塾では子供に真っ先にナイフの話をするところに感心したと
山折さんは感想を述べた。小野田さんに言わせると、ナイフは
指先を使う。脳の訓練になる。子供のころ刃物は七たび人を襲うと
教えられた。刃物から目を離すなと育てられたのだそうだ。
今の子供にお魚食べたことない?と聞く。他人がやったものは
平気で食べる。多くの命をいただいて生きていることを知らない。
あずかり知らない、人間の知恵の至らないところで生かされている
ことに感謝しています。死を恐れずに生きてくださいと小野田さんは
話しを終えた。
日本に帰るとき武装解除しなかった。弾薬は600発が残っていた。
フィリピン政府は取り上げなかった。軍法会議で処刑されると当然
思った。戦争がさせたことで、小野田のやったことでない。小野田は
命令に従っただけだと受け止めてくれたという言葉も印象に残った。
ブラジルで牧場を開いたのは資本家になるためではなかった。自分の
命は60歳までだとルバングで決めていた。それが52歳のとき帰還、
60まで8年あった。自分の実力を証明するためだったと話した。
金属バット事件がきっかけで始めた「自然塾」も23年になる。いまそれを
「親子塾」に広げようとしているそうだ。小野田さんからはひとことも説明が
なかったが、いまの子供は親が育てた。親を教えないと問題が解決しないと
思われたのであろうか。
自由だけで責任をとらない。権利だけ主張して義務を果たさない。多くの
命をいただいていま生きていることに感謝しない。そういう情けない日本
という国、日本人に成り果ててしまったことに心を痛めておられる
姿が小野田さんの言葉のはしばしにひしひし感じられた。
奥さんが会場に来ておられた。会場の最後列の席に座っておられた奥さんを
司会者が最後に紹介した。なかなか拍手がやまなかった。奥さんあっての
いまの小野田さんがあるという会場の気持ちが現れた拍手だったに違いない。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
にある大槻能楽堂で午後2時から開かれ出かけた。
応募者は1500人以上だったらしい。抽選で当選した人が
立ち見もいれて500人以上が集まった。第一部は最初の
10分はビデオにまとめた小野田さんの半生がスクリーンに
映されたあと小野田さんが約50分講演された。
第二部は、宗教学者の山折哲雄さんと司会者をいれていつも通りの
鼎談の形をとり、午後4時まで、ひとことたりとも聞き逃すまいと
静まり返った会場で多くの感銘深い話を聞くことが出来た。
小野田さんはルパング島で29年間過ごした後、日本へ帰還。
1年置いてブラジルで牧場を8年間、金属バットで子供が親を
殺す事件がきっかけで帰国、福島県で、自分で生きていくことは
どういうことかを教える「自然塾」を開いて23年になる。
講演は参加者からあらかじめ寄せられた質問に答える形で進んだ。
1番印象に残った言葉は、「殺しに来た人間には遠慮するな。」
2番目に、「自由の裏に責任がある。権利の裏に義務がある。」
3番目に、「自分の健康には100%気をつけた。」
質問の中で多かったのは、「29年間何を食べていたのか。」
牛を殺して食べた。自分のからだを養うためである。肉の
腐敗を防ぐために火にかけ乾燥させた。燻製にして一枚150
グラム程度に薄くした。一日300グラムは食べていた。
後はバナナ、やしの実。バナナが多くなり肉が減ると痩せた。
ジャングルには医者もいない。薬もない。まず健康。食べ物を
確保するためには遠慮しなかった。民家から頂戴した。牛は一発で
しとめた。山奥へ持ち帰るのは大変な作業だった。夜火を焚いた。
食べることの次は着ること。衣類はぼろぼろになる。針を手に
入れて着物を作った。針は錆びて使えなくなる。鋼から造るが
簡単に出来ると高をくくっていたが苦労した。お腹を冷やさない
ようにズボンは下を詰めた。
水にも注意した。アメーバーに命をとられてたまるかと
いつも自分に言い聞かせていた。健康が一番だということばが
小野田さんの口からたびたび出てきた。お腹を冷やさないように
注意したという言葉が特に印象に残った。
相手と戦っていることを見せねばならない。この島にいることを
見せ付ける必要があつた。自分の存在を誇示した。命をとりに来たものは
遠慮しなかった。93回敵に遭遇した。
敵に遭遇する。相手が探しているときは目がきょろきょろして
いる。相手の目がとまると撃ってくるなと分かる。相手の目が
とまったときは見つけられた時だという言葉も印象に残った。
自然塾では子供に真っ先にナイフの話をするところに感心したと
山折さんは感想を述べた。小野田さんに言わせると、ナイフは
指先を使う。脳の訓練になる。子供のころ刃物は七たび人を襲うと
教えられた。刃物から目を離すなと育てられたのだそうだ。
今の子供にお魚食べたことない?と聞く。他人がやったものは
平気で食べる。多くの命をいただいて生きていることを知らない。
あずかり知らない、人間の知恵の至らないところで生かされている
ことに感謝しています。死を恐れずに生きてくださいと小野田さんは
話しを終えた。
日本に帰るとき武装解除しなかった。弾薬は600発が残っていた。
フィリピン政府は取り上げなかった。軍法会議で処刑されると当然
思った。戦争がさせたことで、小野田のやったことでない。小野田は
命令に従っただけだと受け止めてくれたという言葉も印象に残った。
ブラジルで牧場を開いたのは資本家になるためではなかった。自分の
命は60歳までだとルバングで決めていた。それが52歳のとき帰還、
60まで8年あった。自分の実力を証明するためだったと話した。
金属バット事件がきっかけで始めた「自然塾」も23年になる。いまそれを
「親子塾」に広げようとしているそうだ。小野田さんからはひとことも説明が
なかったが、いまの子供は親が育てた。親を教えないと問題が解決しないと
思われたのであろうか。
自由だけで責任をとらない。権利だけ主張して義務を果たさない。多くの
命をいただいていま生きていることに感謝しない。そういう情けない日本
という国、日本人に成り果ててしまったことに心を痛めておられる
姿が小野田さんの言葉のはしばしにひしひし感じられた。
奥さんが会場に来ておられた。会場の最後列の席に座っておられた奥さんを
司会者が最後に紹介した。なかなか拍手がやまなかった。奥さんあっての
いまの小野田さんがあるという会場の気持ちが現れた拍手だったに違いない。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)