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森田りえ子さん大いに語る(スケッチ&コメント)

2009-09-26 09:36:33 | スケッチ


森田りえ子さん大いに語る

江嵜企画代表・Ken



いまや売れっ子の日本画家となられた森田りえ子さんによる90分トークショーが、京都で開かれるというのでとるものとりあえず家族と出かけた。今回のようなまとまった形で森田りえ子さんのお話を聞ける機会はひさし振りである。会場には日本画教室の仲間の顔も見えた。いつものように会場の様子をスケッチした。

 会場の仏教大学四条センターは、JR京都駅下車、地下鉄烏丸線に乗り換え、四条駅で降りて徒歩3分のところにある。幸い近くの京都大丸店でたまたま日本画家の橋本関雪の展覧会が開かれており、美術の世界を満喫でき幸いだった。

 橋本関雪は神戸生まれである。京都で竹内栖鳳の画塾に入門、本格的に日本画を学んだ。森田りえ子さんも神戸生まれである。彼女は、いまは京都を本拠にしてご活躍だが、「神戸には風が流れているから好きだ」といつもおっしゃる。神戸の街をこよなく愛しておられることが言葉の端々にいつも感じる。

 トークショーは美術大学での素晴らしい先生に恵まれた話から始まった。彼女がプロの画家になろうと決めたきっかけは、大学院を出た年に2ケ月の欧州旅行での師匠の石本正先生との出会いだった。石本先生がいくところいくとろでひたすら写生する姿を目のあたりにした時であると話された。

 ひたすら写生することの大切さを、大阪なんば高島屋での日本画教室でも、森田りえ子先生に繰り返し教えられた。なんといっても、絵の原点は写生である。若冲さんも写生の虫だった。ひたすら写生することによって、目の前の自然が啓示してくれるのですと、話された。

 森田りえ子さんは、学生時代からカルチャーセンターで絵を教えていた。ところが生徒に花の絵の描き方を教えられないではないか。素直に反省した。ゼロから花の絵を勉強した。

 森田さんはもともと人物画を得意としていた。この日最初のスクリーンに写された絵は50号の電車の中の老人の姿である。いまも手元に置いていますと話された。森田さんは、花の画家と言われている。特に糸菊の花は見事である。しかし、「人物は絵画の根本です。」とこの日もきっぱり語られた。

 1986年、菊の絵を描いて第一回川端龍子大賞をもらった。賞をもらう前の年の秋、花は、花が咲くように描けばいいんだと始めて思った。それが大賞になった。自信がついた。女の厄の31歳の時だった。そのころ女流画家がどんどん世に出て来ていた。そのなかで20代をなんもなしに過ごしていました。31才でやっとだったんですと,話された。

 トークショーの最後に、今年5月19日~7月18日の間、開かれたパリ個展の話に進んだ。フランス人は藤の絵に一番心を奪われたという。神社の中にある藤の絵である。藤の姿に、フランス人は、何かおどろおどろしいものを感じる。自分で描いていても、何かしら妖気めいたものを感じますと、森田りえ子さんは話された。

 パリ展のために描いた3人の少女を描いた「かわいい」という絵も印象的だった。「KAWA・i.i」といえば、パりでも通じますよ、といわれた話は面白かった。

 最後に宣伝になりますがと、やや、はにかみながら、「月刊美術」10月号の紹介があった。大袈裟でなく、さながら日本画家 森田りえ子特集号の観を呈している。10月14日~26日の間「パリ帰国展」が東京日本橋三越で開かれることも紹介された。

 日本画教室の仲間と会場のある京都三井ビルディング地下一階の軽食堂でビール、ソーダで乾杯、しばし余韻を楽しんだ後、帰路に着いた。

 森田りえ子先生、日本画教室の生徒だった私たちを追いとけぼりにして、あんまり遠くまで、飛んでいかないでくださいね。(了)

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