中観音左右猿猴図
江嵜企画代表・Ken
京都へは結構足を運ぶが、相国寺 承天閣美術館(075-241-0423)は始めてだった。9月6日まで「相国寺 金閣 銀閣 名宝展-パリからの帰国ー」が開かれている。今年5月に、日本画家、森田りえ子パリ個展が開かれた。その時のツア―で、相国寺管長、有馬頼底さんとご一緒出来るというご縁をいただいた。
京都仏教会の長澤事務長さんから、「名宝展」が開かれていると、前々からお聞きしていたが、気が付いたらあと一週間で閉会である。とるものとりあえず出かけたが、噂にたがわず掛け値なしに素晴らしかった。
相国寺は明徳3年(1392)室町幕府第3代将軍、足利義満創建である。当の美術館は昭和59年(1984),相国寺創建600年を記念して、相国寺、金閣寺、銀閣寺そのた塔堂寺院に伝わる美術品を受託して建設されたと解説にあった。館内はじゅうたんが敷き詰めらえているせいもあり静かな雰囲気でじっくり鑑賞出来た。
千利休消息 羽藤様宛とある墨蹟にまずくぎ付けになった。羽柴秀吉と千利休との数奇な運命を想像した。伊藤若冲描く釈迦三尊像はなかでも圧巻だった。昨年秋、パリ市立プチバレ美術館で開催された時も人気を一身に集めたと当時の会場のビデオ画像で解説していた。
右手に館内庭園を見ながら回廊を抜けて第二展示室では伊藤若冲の牡丹・百合図、芭蕉図とつづきなかでも円山応挙筆の畳3畳は優にあるとおもう大瀑布図は音とともに水しぶきが届かんばかりの迫力だった。
中観音左右猿猴図 狩野探幽・尚信・安信 三兄弟の屏風絵の前に椅子があったのをこれ幸いと、会場の様子をスケッチした。
水辺の巨岩に端然と座し慈悲深い微笑をたたたえる観音像を描いたのは長兄の探幽(1602~74),子供を抱えながら水辺に映った月を捉えようとする手長猿を右幅に描いたのが次兄の尚信(1607~50)、夜空の月を指差す猿を左幅に描いたのが末弟の安信(1613~85)と解説にあった。
出町柳まで足を延ばし家内の里の菩提寺である常林寺のお墓参りを済ませ帰路につ
いた。(了)