ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

機能と器質を考えながら治療する (1月22日の臨床実践塾の準備を兼ねて)

2017-01-09 12:13:38 | 診断即治療と虹彩学
     
拇趾内転筋と短母趾屈筋



機能とは、もののはたらきのことですが、人体で言うと各部の主な働きで、手なら手の、足なら足の働きがあり、それら特有の動きを機能というわけです。
そして、それらと関連する部位にも機能があるので、治療を考える時に、部分の機能だけを考えるのではなく、関連している部分の機能も考えます。
それが「連携する機能の調整をする」ということです。

例えば、外反拇趾を考えますと、基本的に部分的な筋の過緊張が起るので拇趾が外旋するので、対象療法で治療するならば、その筋肉の過緊張を取り去り、拇趾の動きを良くすることです。
つまり、機能を回復させるわけです。

ところが、その状態が長く続くと、器質的(構造的)な症状になる可能性が高くなり、治しにくくなります。
では器質とは何かということになりますが、器質とは、解剖学的な性質のことで、本来は丸い形状のものが四角のように変形してしまうことです。
現実的には、◯が□になることはありませんが、骨折などをすると、その形態は明らかに変わってしまいます。

ですから我々が治療をするときには、機能的な治療と器質的な治療を考えます。
たとえば、先ほどの外反拇趾の治療で、機能的な治療なら、過緊張している筋肉の緊張をとってあげれば症状は治まるので、拇趾内転筋や短拇趾内転筋に、そっと指を添えているだけで症状を治めることができます。

ところが、それは対象療法になるので、症状を一時的に消すだけの治療になり、すぐに再発してしまうのです。
これでは根本的に治ったとは言えませんので、その症状が起ったルーツを辿るわけです。
そこは東洋医学に便利な理論がありますので、それを引用すると、「筋=肝」となり、根本的に肝が関係していることがわかります。
なので、肝の治療も加えるわけです。

つまり、器質的な症状にならないように予防的な治療も加えるわけです。
外反拇趾の器質的な症状とは何かと言いますと、私は、中足趾節関節が脱臼して、趾節骨が飛び出した状態と説明しています。
元の正常な形ではないからです。

先日、「前に教えてもらった外反拇趾の治し方をもう一度教えてほしい」という方が来られました。
話によると、「あの方法をしていると痛みが出ないのです」と言う。
拇趾内転筋や短母趾屈筋に軽く指を当てておく方法です。

しかし、私は納得できませんでした。
何故なら、それはあくまで対象療法だからです。
ですから、教えるには教えたのですが、「でもそれは機能をちょっと調整しただけですので、根本の肝臓ケアのことも考えなければいけませんよ」と付け加えておいた。

肝臓のケアとは、日々の生活では、
① 過度の飲酒を避ける
② 新薬を摂り過ぎない
③ 甘い物を摂り過ぎない
④ おかずを食べ過ぎない
⑤ 油モノを摂り過ぎない

等々になります。
それ以外にも肝臓への負担を減らす方法はあるのですが、どうもこの生活習慣の話をすると嫌われるようです。(笑)
それならそれで治療に来てもらえばいいのですが、私は気が弱いのか、「頻繁に治療に来なさい」と言うことができないのです。(泣)

今回の臨床実践塾では、五十肩の治療法を公開しようと思いますが、五十肩も機能と器質の角度から治療法の検討を進めていきます。
例えば、機能的なものなら、上腕を捻るだけで治まる場合もあるのですが、こじらせたり、年月が経っている場合はそうはいきません。

そのような場合は、脊椎や肋骨から整えていかなければならないのです。
鍼を使うと早いのですが、鍼が嫌いな人には鍼を使わずとも治療することができますので、今回は鍼を使わない方法での治療法を説明したいと思います。

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羽田英彦展「位相―新しい表現を求めてーatギャラリー菊(スケッチ&コメント)

2017-01-09 09:50:55 | スケッチ


atギャラリー菊

江嵜企画代表・Ken



今年最初の猪熊佳子日本画教室のあと、この正月で数え103歳を迎えた義母慰問。最後にギャラリー菊で開かれた羽田英彦展に出かけた。

日本画教室では、今年本画に仕上げる候補として、今まで描きためていたスケッチから選んだ数点の候補を猪熊佳子先生に見ていただいた。「自分で一番描きたい絵を選びなさい」のアドバイスである。以前から本画に仕上げたいと思っていた「かに道楽」の看板を背にした心斎橋風景の絵である。

義母訪問では、たまたま集会場で約30人が集まる時間に出くわした。案内された会場入り口で義母はどこかと、キョロキョロしていたら、何と義母が手を小さく上げて、「ここだ」と教えてくれた。脳がシャープに反応してくれていることが分かり嬉しかった。

前置きが長くなった。羽田英彦画伯は当欄でもしばしば登場する中学高校同窓である。中学一年の時、美術の先生が須田刻太画伯。彼は須田画伯にしびれて小学校の先生、教頭、校長を経て今や「赤の絵の男」として知る人ぞ知るプロの画家である。会場所狭しと「赤」の絵が出迎えてくれた。会場での第一印象は赤の色のトーンがどこかいままでと違う。ギラギラした感じが消えた。さらに絵に黒が点在している。もちろん素人の感触だが、会場の雰囲気に温もりを感じ、これまた嬉しかった。

接客に忙しい羽田画伯にインタビューを試みた。「今回の個展を開くにあたり、どんなことを念頭に置いたのか」とえらそうに聞いた。開口一番、羽田画伯は「新しい表現を試みた。新しい表現に取り組んだ。新しい表現を求めた。」と「新しい」という言葉を矢継ぎ早に3度使った。「絵に黒が入っているが」と追いかけて聞いた。彼は「そうだ。それに、黒をどこに塗るかを考えた。黒の占める割合を考えた。黒をここという場所に選んで描いた。」と答えた。

この日、関西地区は朝から氷雨が降るあいにくの天候だった。しかし、彼の周りに次々挨拶に来られる。ほぼ毎年彼の展覧会を拝見しているが新しいメンバーが増えてきている。そして今年最初の個展では「新しい表現を求めて」と意気軒高そのもの。年齢を全く感じさせない。わが同窓は来年正月で数え80歳を迎える。新年早々に、羽田画伯からまた改めてパワーをもらいご機嫌で帰路についた。(了)

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