思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

思想と心情ー心情主義の怖さ (哲学?)

2005-01-10 | 恋知(哲学)
受験成績優秀ー紋切り型の「りこう」な人(本質的なことは何も分からない人)が社会の主要ポストについている日本という社会では、意味論が欠落してヒステリー的な心情主義が横行しがちです。以下の文書は、昨年4月に書いたものですが、新年-成人の日。にあたりブログ上にアップします。


思想 と 心情  

私たち日本人は、しばしば思想の問題をなし崩し的に回避し、心情の問題にずらせてしまいます。

そうとは自覚せずに、その人の言動の本質を規定しているのは、広い意味での思想(=価値観の集合)ですが、この思想のありようをよく見ることを回避し、心情の清さー純粋性を基準にして善悪や良否を決めてしまうのは、おそろしく危険なことです。

第二次世界大戦での天皇教の日本人の言動も、過激な赤軍派などのセクトの言動も、この心情によって自他を見、判断している点でまったく同じです。「涙した」とか「一心で純粋だ」とか「わが身を省みず命がけで」という心情のありようだけで善し悪しを判断することは、おぞましい結果を招来してしまいます。

個人であれ組織であれ、そのありようの善悪、良否は、その言動の背後にある思想(=価値観の集合)を深く知らなければ、判断できません。確かな構想力に裏打ちされた考えか否か、吟味された見通しのよい考えか否か、深い納得をもたらす優れた考えか否か、その考え=思想のもつ価値―その有用性の程度を、それとして見定める営みが必要です。

心情主義から脱却するためには、深く大きく思考する精神が不可欠です。生活の中で、なぜ?どうして?と考え・問う習慣を養い、掘り下げ吟味する力をつけ、心身のパワーと健康を生み出したいと思います。 

武田康弘 (2004.4.23)

2005.1.10



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