議論―討論は、やろうと思えば、ちょっとした努力ですぐにできるのに、多くの人は、なかなか始めようとしない。
型どおりの公式的発言、一方通行の独白、単なる情報の収集はやるのに、一番有意義な、一番エロース豊かな討論的対話はやらない。
やってみなくてはエロースを味わえない。互いに少し努力すれば、面白みが分かってくる。
普段の生活の中で、メールではなく、顔をつき合わせて話すこと、
あいさつの延長でしかないおしゃべりを超えて、
自己の立場を堅持する紋切り型の発言を越えて、
すでに書いておいたものを読むような、書き言葉でしかないような「話し言葉」を超えて
生きた言葉を交わすこと。
いま生きている精神と、いま生きている精神とが関わることではじめて、熱い反応―真に現実的、能動的な考えは生まれる。
話すこと・考えること・議論することは、よく生きることだ。
「文字言語」と「生きた話言葉」についてのラディカルな考察から、哲学、哲学者は生まれました。哲学=愛知学誕生の瞬間は、プラトン著、ソクラテス対話編「パイドロス」の最後に載っています(岩波文庫「パイドロス」では132ページから後12ページほどです)。