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OTOMEさんの『教育と抑圧の境目』(私の『必要なのは、おどけ・ふざけ・悪さです』へのトラックバック)を読みました。
12年前(わたしの一人息子が中学1年生の時)に書いた「心と心が通うこと」と通じるものがあると思いました。以下にアップしてみます。
心と心が通うこと
しかることが、反抗や隠れた憎悪の心をもたらさずに、よい=魅了ある人間を育てることにプラスに作用するための条件は何か?
それは、肯定=愛の心だ。しかる、という一種の否定が効を奏すのは、基本に子どもの関心・欲望を肯定する心がある時に限られる。
人間の最も大きな価値は、生きているものを愛する心だ。多くの子どもは、その人がバイオフィリア(生きているものへの愛)人間か、ネクロフィリア(固定し死んだものへの愛)人間かを、瞬時に、ほとんど本能的に見分ける。強くしかっても、厳しく指導しても子どもに好かれる人がいる。優しい言葉や笑顔をふりまいても少しも好かれない人がいる。
人の心の奥深くまで届く言葉=ほんとうに腑に落ちる言葉を発することができる最大の条件は、肯定と愛の心があること=バイオフィリアであることだ。
基本に「否定」の構えをもつと、必ず権威主義的になり、子どもの心を抑圧してしまう。
(1993年5月 武田康弘 )
2005.1.19
OTOMEさんの『教育と抑圧の境目』(私の『必要なのは、おどけ・ふざけ・悪さです』へのトラックバック)を読みました。
12年前(わたしの一人息子が中学1年生の時)に書いた「心と心が通うこと」と通じるものがあると思いました。以下にアップしてみます。
心と心が通うこと
しかることが、反抗や隠れた憎悪の心をもたらさずに、よい=魅了ある人間を育てることにプラスに作用するための条件は何か?
それは、肯定=愛の心だ。しかる、という一種の否定が効を奏すのは、基本に子どもの関心・欲望を肯定する心がある時に限られる。
人間の最も大きな価値は、生きているものを愛する心だ。多くの子どもは、その人がバイオフィリア(生きているものへの愛)人間か、ネクロフィリア(固定し死んだものへの愛)人間かを、瞬時に、ほとんど本能的に見分ける。強くしかっても、厳しく指導しても子どもに好かれる人がいる。優しい言葉や笑顔をふりまいても少しも好かれない人がいる。
人の心の奥深くまで届く言葉=ほんとうに腑に落ちる言葉を発することができる最大の条件は、肯定と愛の心があること=バイオフィリアであることだ。
基本に「否定」の構えをもつと、必ず権威主義的になり、子どもの心を抑圧してしまう。
(1993年5月 武田康弘 )
2005.1.19