思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

メール? リアルタイムで公開ー創作者と研究者

2005-01-24 | メール・往復書簡
以下は、書評でご紹介した「公共の哲学とは何か」(ちくま新書)の著者ー山脇さんとのやりとりです(ジャンル「メール往復書簡」???のつづきです)。
創作者と研究者の関係づくりの様子をリアルタイムで、お知らせしようと思います。
実存(論)と公共(学)との関連、創作者と研究者との関係、どの程度生産的か?誰にも分かりません。まだようやく「はじめの一歩」です。
このブログの読者が証人!というわけです。なにやらサルトルめいてきた!?


拝復
武田康弘様
早速のお返事ありがとうございました。

『公共哲学の古典と将来』、受理しました。ありがとうございます。新趣向の「教科書ー辞典」という趣ですね。(武田)

そうですね。古代・中世・近現代のヨーロッパ、中国、日本の哲学研究者が同じ土俵の上で議論し合うことがこれまであまりなかったという意味では新趣向と言えます。それに各執筆者は、単なる研究者を超えた個性的思想を持つ面々ですから、教科書・辞典の域は超えているでしょう。(山脇)

誠実な学問的営為、為政者ではなく、裸の個人につく視点ー立場の山脇さんや、公共哲学ネットワークの皆さんには、敬意を表します。(武田)

討論部分は、文字言語を、生きた言葉に近づける努力として、面白く有益だと思います。「論」の立体化に貢献しています。また時間をかけて読んでみます。(武田)

編者としてこの部分がこの本のセールス・ポイントだと思っています。(山脇)

協力関係がうまく築ければ、お互い、新たな発展が得られるかもしれませんが、ひとつ、過去の経験から注意しなければならないと思うことがあります。言わずもがなですが、同じく思想に関る身であっても、山脇さんは〈研究者〉であり、私は〈創作者〉です。実存の選びが異なっています。異なっているからこそ、生産的だと思いますが、異なっていることの自覚が薄れると、無価値な軋轢が生じてしまう恐れがあります。(武田)

この事は十分自覚しなければならないと私も思っています。(山脇)

また、一般論ですが、研究者には、研究者固有の「固さ」がありがちですし、創作者には、創作者固有の「わがままさ」がありがちです。互いに違いを許容し、違いを面白がる余裕をもって交流ができれば、楽しく生産的な関係が築けるのではないかと思います。いかがでしょうか?(武田)

全くそのとおりです。現在の私は、半分は(厳密な)研究者、半分は(市民として)公共哲学ネットワークなどで社会的にコミットするスタンスでいきたいと思っています。武田さんの管理教育批判へのコミットや「公共放送」の意味を忘れたNHK批判には、この双方のスタンスから大いに関心を持っています。(山脇)

では、今後ともよろしくお願い致します。(武田)

こちらこそよろしく。(山脇)



コメント
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