思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

議員ー実存の意味と仕事 (メール公開ー哲学?)

2005-01-25 | 恋知(哲学)
以下は、私が主宰する「哲学と市政の会」のメンバー(二人の我孫子市議会議員)=(あびこオープンとびら)へのメールです。


タケセンです。では少し、原理的な話をしましょう。

「客観的な学」(専門知)は、「生活世界の学」(全体知)の中で始めて成立するもの。したがって生活世界の学は、客観的な学よりも高い品位をもち、この部分=専門としての知は、その中で始めて意味をもつこと、これがフッサール現象学が論証した結語です。

わたしたちの文脈で言えば、「エリート主義」の持つ守備範囲は、その意味を変容させて「市民精神」の中に一部として含まれるということです。
(ジャンル・社会思想の?「エリート主義vs市民精神」を参照して下さい)

広い意味での哲学的精神に支えられて始めて成立するこの「市民精神」は、原理上、最も品位の高いものですが、生活者のすべてに開かれていて、誰にとっても一番近しい知となる可能性をもっています。

私的な関心や利害から出発しつつ、自分を含む皆のための共同利益を生む考え=公
論に高めていく営みには大きなエロースがあります。自分は自分でありながら、狭い
自己を超えた大きな普遍性の世界を得るからです。

例えば「会社重役」などという、一ポジションにすぎない肩書きを偉い!などと錯覚している組織人間を、裸の個人として、ほんとうの現実の前に立たせるのが、この「市民精神」です。
市民とその意思の代行者である議員の双方の目を覚まさせる・覚醒するのが「市民精神」です。

生活世界から立ち昇る生活世界知=全体知の威力がどれほどのものかを一番知らないのは、残念ながらわが日本人でしょう。専門知がしっかり根付いているヨーロッパは、逆に、その有効範囲と限界についての自覚を持っています。

ともあれ、思考・対話の自己訓練、相互訓練(それが本来の哲学=市民精神)により、真に優れた有用な考えを生み出すエロースを自他に広げる実践を進めようではないですか。

議員というのは、「市民自治」の中身を鍛え、押し広げるためにのみ存在しているのです。言い換えれば「市民自治」=本来の民主政治推進の専門職です。私的利益の御用聞きではないことを鮮明にすることが、「市民のレベル」をあげる「はじめの不可欠な一歩」です。公論に殉じる覚悟・迫力が、市民と自己の双方を救います。

最後に、中央政府(国)ではなく、生活世界の現場である地方政府こそが大事であ
り、原理上、より品位の高いものであることを明記します。
近代社会の客観主義の悪弊を超えるためには、このことの自覚が第一に必要です。

人間のより品位の高い生=幸福は、主観性の開拓・意味の深さにあるわけですが、「生活世界に根ざした公論形成」がそのための基本条件を整備することになるのです。個々人の生の可能性を広げ・深めるための条件整備、それが本来の政治の役目なのですから。

公論形成を職業にするのが議員です。そのために調査し、駆け回り、議論を燃え立
たせるのが議員です。「市民自治」を広げ深めるために、市民が税金で支えているの
が議員です。

原理的な思想の深い了解は、巨大な力を発揮します。頑張りましょう!




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