思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

? 山脇さんへの返信ー「公共の哲学」をめぐって

2005-01-13 | メール・往復書簡
山脇直司様。

お便り、ありがとうございます。
もしお出で下さるならば、喜んでお迎えします。
「公共哲学とは何か」は、研究会や授業でテキストとしても使う予定です。


私は、実存の深みへの探求のためには、公共的な社会性の探求・獲得が必要だと考えています。「実存は公共性に先立つ」(笑)というわけです。

私が考える哲学とは、椅子という「事実」はない、真に実在するものとは椅子の「意味」であるーというソクラテスープラトンのイデア論のことです。

そういう意味では、イデア論を否定したアリストテレスは、学問ではあっても、哲学とは言い難いかな?と思っています。

プラトンの「国家」もルソーの「社会契約論」も共にイデアとしての都市国家論・社会論であり、経験的な事実学ではないので、そのような読み方が必要だと思います。

実存論と社会学(意味論としてではあれ)とでは、水面下と水面上の違いがあるようです。サルトルのレトリカルな書き方は、両者を融合するための要請だったのではないでしょうか。

名称は、単に「公共学」または、「公民学」の方がよいかな?と感じました。「存在論」(これは竹田青嗣さんが解釈し直した「現象学」を下敷きにする以外にはないでしょう)の探求を基盤として、そこから反転して「公共学」に上向するというのが正解ではないか、と考えています。ともあれ、この両者ー水面下と水面上をそのもまま結合することは出来ないと思います。必要なのは、違いの明晰な意識化、ではないでしょうか。


では、お会いできる日を楽しみに。(お名前失礼致しましたー訂正しました。) 協力関係がうまく築けたら、楽しく有益ですね。

武田康弘。(2005.1.13)



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? 著者ー山脇さんからのメール「公共哲学とは何か」

2005-01-13 | メール・往復書簡
私の書評「公共哲学とは何か」に対して、この本の著者、山脇直司さんよりメールを頂きました。
私の返信も次にアップしたいとおもいます。このようなやりとりを公開することは、個人=実存に立脚した真の公共性の思想を構築するために、大変有益な試みだと思います。



武田康弘様

初めてお便りする東大駒場キャンパス教員の山脇直司と申します。この度は、拙著をサイトで紹介して頂き、本当に有り難うございました。

武田さんが仰るとおり、まさに「個人の実存の深み」と「公共性の探究」をどう実践的に補完していくかが、今後の日本、いや世界中の人々の課題だろうと思います。

私も大学での活動の他、千葉大学の小林正弥さんが主催する公共哲学ネットワークにも積極的にコミットしており、武田さんや白樺教育館の方々と、いつか話し合う機会を持ちたく存じます。なお、サイトの山脇直史という名前を山脇直司に訂正して頂ければ幸いです。

では、いつかお会い出来る日を楽しみに。今日のところはお礼まで。(2005.1.13)

山脇直司


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