思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

教育? 「子育てやら、親の役目やら」へのトラックバック

2005-01-22 | 教育
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以下は、bondolさんが、私の教育論(「必要なのは、おどけ・ふざけ・悪さですー教育の原理」)について書いたトラックバックに対してのお答えです。

斜体の部分は、bondoll さんの文章です。


「9割方の親というのは、市井の庶民ですよ。
思いつきや自分の経験のみで子供を育てるのが”ほんとう”です。」


とありますが、そうだからこそ、不安になったり、行き詰ったり、困った事態に陥った時に、私のところに相談に来るのです。具体的な対処の仕方は、すべて異なり、決まったマニュアルをつくることはできません。ただ、そこに、共通する問題点を見出すことは可能です。それを整理し、簡明に記しておくことは、有益です。多くの人たちから「なるほど」「助かった」との声を頂いています。もちろん、例外なく全ての人に役に立つ魔法ではありませんが。


「そしたら、まず、話をすることでしょう。 子供と。 人間相手にするのと同様に。
子供にわからないことというのは、ゼロです。 全て理解することはできます。 ただし、経験に基づく”ことばに表現できないこと”には理解がない。」


これは、私の考えー行為の基本ですので、まったくその通りだと思います。それを貫くことが、最も大事なことですね。そうすれば、

「反抗する子供がどーのとって、子供は反抗するんですよ。そういうものですから^^;
で、それを、悠々と抑えつけるのが親の役目です。
ほら、やっぱりね、親は圧倒的な力をもってなくちゃいけないんですよ。」


という無理な頑張りは必要なくなるのではないですか? 『心身全体での対話』が出来ているならば、それ以上の『よい』はないと思います。もちろん、仰るように、エネルギーは何をするにも基本ですが。しかし、「圧倒的な力」を持ってなくちゃ!というのは、ずいぶん酷な要求ですね(理念として語られたのならば話は別ですが)。


「原理を無視して、まず今あることをみる。 当世にあったすばらしい生き方でしょう^^?」

そうすると、「今あることをみる」ことも出来なくなると思います。
何であれ固定した考えに囚われていると、目の前の事象―出来事が見えなくなりますが、逆に、原理まで無視することになれば、全ては砂上の楼閣になって、ニヒリズムに陥いるのではないですか?


早速のていねいな返信、ありがとうございました。「違い」と共に、「共通点」も多いことが分かりました。

では、また。失礼。

2005.1.22 武田康弘


コメント
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