今日5日の東京新聞「こちら特報部」に、殺人事件を起こした子どもの共通項として、△まじめ△おとなしい△勉強ができるの三つがあげられています。
親・教師への期待に答えようとして、ありのままの心を見せずに育った子どもが、ため込んだ「怒り」を一気に放出する、、、。
私の29年間の教育現場体験から、上記の記述はまったく正しい、と確信をもって言えます。
では、どうすればいいのか?
以下の長谷川博一さん(東海女子大学・臨床心理)の言は、その通りです。ご紹介しましょう。
「子どもに仮面を着けさせてはいけない。勉強ができて、誰から見てもいい子というのは、仮面を着けている。小さい子どもは悪いことをして当たり前だ。それでもわが子として認めてあげる。子どもらしく喜怒哀楽豊かに、好奇心のままにいろいろなことに手を出させればいい。その過程で失敗して当たり前。」
その通りで、
激しい言動、取っ組み合い、ぶつかり、いたずら、・・。こういう「暴力」や「反抗」がまず、一旦は肯定され許容されないと、人間は心の内側からの優しさや内的な秩序を形成することができなくなります。何事も、本気でぶつかり合うという基本の態度がないと、階段を上ることができません。心の不完全燃焼が有毒ガスを撒き散らすことになるのです。
そうなれば、後は、外側からの強制=外的秩序による躾と、宗教を含むさまざまな「思想」によって人間をつくる以外には方法がなくなります。==仮面を強要する==というおぞましい教育(刷り込み)が教育とされるのです。
幼いころから「受験塾」に通わされて、生身の人間としての激しい直接体験をもたない優等生たちは、殺人者にはならずとも、ひどい「自我主義者」にはなります。自我防衛の理論武装に必死になる愚か者としての「エリート」は、その分かりよい見本です。自他を不幸に陥れる言動を「善意」?で強行するおぞましい人間に成長!するのです。
「必要なのは、おどけ・ふざけ・悪さです -教育の原理ー」もぜひご参照下さい。
なお、教育出版の「中学3年教科書」に載っている『素顔同盟』は、とても面白いです。短編ですので、ぜひ読んでみてください。クリックで出ます。
武田康弘