思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

受験知がつくる『構造欠陥人間』-底なし沼の日本社会

2005-11-24 | 私の信条

見栄えがよく、セレブっぽい、建築優秀賞受賞!のマンションは、実はインチキ・上げ底・手抜きの『構造欠陥』物件だった!
これは、現代日本のあらゆる分野に共通する大問題ですね。

人気があれば偉い、
金ころがしが偉い
東大が偉い、
皇族が偉い
・・・・・
内容―中身の検証ではなく、外見と名前でしか物事を見ることができない人間の集合。
「受験勉強」しかないこの国では、上げ底の「知」-意味を問わない技術としての「知」によって、すべてが覆いつくされています。
情報=ただの事実の羅列だけ。表層的な言葉と数字だけ。全身で感じ知り会得する=自分の頭を悩ませて考えるというほんものの知は消え失せました。
お手軽、手抜き、底上げ、外面人間たちのオン・パレード。
点数で計ることのできる「知」しか知らない人々で埋め尽くされている国。

まさに『構造欠陥人間』がさまざまな分野で社会のトップに立ち、中身のない肩書き・外見人間が支配する『構造欠陥社会』が現代の日本という国の実態です。

この恐ろしい事実を正面からまともに見据えること、そこからしかほんものの改革は始まらないでしょう。
恋知(哲学)に基づく思想がなく、現状追認の「保守主義」と感覚を刺激するだけの浅はかな「その場主義」が大手を振るう現状を変えるためには、おおきな覚悟が必要です。

そのための基盤となるのが「民知―恋知」という「知」の変革です。
事実学から意味論への転換が急務です。
「客観学」を先立てるのではなく、主観性を深め、大きくし、豊かにする「主観性の学」である「恋知(哲学)=民知」を血肉化する営みに取り組まなくては、未来を開くことはできません。これは原理です。

外見だけが立派な『構造欠陥人間』では悲劇です。

武田康弘


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