思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

天皇制についての思い・考え=lucien さんの問題提起を受けて。

2005-11-28 | メール・往復書簡

以下は、lucien さんの「天皇制について考えてみないか」のブログ記事へのコメントです。
みなさんもぜひご参加下さい。

[タケセン] [2005/11/27 21:14] [URL]

「今までの天皇制に関する議論で、決定的に欠如していたのは、『自分(あなた)にとって天皇制とは何か?』」という視点なのだ。」(lucien)
という視点は、見事に「現象学ー実存論」的ですね。

「客観学」的視点では価値ある思想は生じない、これは原理です。
「主観性」を深く大きく豊かにしていく=私の人生のエロースを開拓することと、内容を「無」にすることで生きながらえてきた「天皇教」という形式だけの儀式宗教とは、両立不可能です。

一人ひとりの子どもたちが真に自分から出発する人生ー自由とエロースの可能性を拡げる手助けとしての私の教育実践と天皇制とは、どうにも折り合いがつきません。
多くのふつうの日本人のために、また個人としての皇族の人達のためにも、現在の「天皇制」については、見直し、改める必要がある、そう私は確信しています。

武田康弘

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[lucien] [2005/11/28 12:37] [ MyDoblog ]

今の世の中で普通に暮らしている人たちは絶対に天皇制の必要性を自然に感じることはありえません。むしろホリエモンや村上ファンドみたいな「拝金主義」になる方が自然です。なのに天皇制が上の方から押し付けられるように宣伝されるのは不自然なことです。

とはいってもわたしは天皇制を否定したいのではなく、少なくとも日本古来からの伝統文化を継承し象徴する集団としての価値はおおいにあると思っています。万世一系とか現人神みたいなのは認められませんけど。これは天皇制における「象徴的な面」と「超越的な面」に分類できるのではないでしょうか。

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[タケセン] [2005/11/28 12:48] [URL]

天皇という存在がどのようなものであったのかは、北沢さんの書いた「感性としての日本思想」(藤原書店)がよい本です。あなた(lucienさん)の考え=思いに近いようです。

私は恋知としての哲学を実践する人間ですので、「天皇制という思想」(象徴規定)は認められないのです。

おかしな役割を押しつけるのではなく、日本の伝統の旧家として存在してもらうのがよいと思っています。無理にいつまでも江戸城に住まわせるのではなく、京都御所に帰られて、もっと自由に生きられることがよいことだ、と強く思っています。

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lucien] [2005/11/28 16:27] [ MyDoblog ]

良い本の紹介どうもありがとうございます。読んでみたいと思います。
天皇家が京都御所あたりで静かに生活していただく、というのは賛成ですね。国会の召集とか大臣の認証のような国事から解放してあげたほうが良いと思います。
皇后陛下の「声が出なくなる」事件や、雅子妃の適応障害など、ものすごいストレスがあるんでしょうね。見ていると痛々しいです。

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以上です。
みなさんもlucienさんの提案=「天皇制について考えてみないいか?」に沿って考えてみてください。

私が昨年夏に書いた、 「皇族の人権と市民精神の涵養」もぜひ参考にしてください。
ご意見・ご感想をどうぞ。

武田康弘


コメント
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