以下はミクシィというブログ内でのやりとです。
私の集団的自衛権の否定のブログ記事に対する質問と私の返信です。
有意義な対話に発展しそうです。つづきも載せますので、お楽しみに!
初めまして、ヌルハチ(明治大学学生)と申します。ふざけた名前ですか、常識や世間の流れに正しい疑問を持って生きたいと思っている者です。いくつかの質問を行うことをお許し下さい。
?抵抗としての闘い以外の闘いはない、とおっしゃっていましたが、「集団的自衛権」とは「やられる前にやる」という意味ですか?
?また、やられてからでは遅いのだから、自分たちの住む地域を直接攻撃されてから抵抗してもダメだ、という意見にはどうお答えになりますか?仮にイスラム過激派にテロ攻撃を受ける前に、テロリストだけを殺し市民を巻き添えにしない手段があったとしましょうか、テロリストに日本を攻撃される前にその手段を使うというのはいけないのでしょうか?
?国家には実体はないのでしょうか?あ、すいません、ないですね。国家も国境も恣意的なものですね。この質問はナシにします。
?ただ、国民を団結させるために崇拝対象を作るのはいけないことでしょうか?
ちなみに僕自身の立場はまだハッキリしていません。これから本を読んだり人と話していく中で少しずつ固めて行こうと思っています。ぼんやりとですが、「戦争は避けたい」そして「今の日本には愛国心が足りないため、政治やお互いの国民を好きになれないことにつながっている」とは思っております。自分は「戦争は避けたい」と思っていても、戦争を肯定する人間に会ったときに自分の意思を曲げない自信がありません。先生とお話してそれができるようになれたら嬉しいと思います。
お暇が出来たときで構いませんので、このコメントの返事を下さい。
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2005年11月11日
00:32
タケセン
?集団的自衛権とは、軍事同盟の加盟国のどこかが攻撃を受けた場合、攻撃された国を支援して一緒に戦うことを意味します。
?先制攻撃は、国際法上、認められていません。個人の場合でも同じで、相手が何かやりそうだと思ったから、という理由で先に攻撃することはできません。それを認めたならばどういう事態になるかは容易に想像がつきますね。
?愛国心とは何か?自国に対しての自然な親しみの心と、意図的にある国家像を愛するように仕向けることとは180度違います。実体のないものを「愛する」とは、精神病の一種でフェティシズムといいます。疎外感や不全感がもたらす幻影で大変危険です。以前に書いた「国とは何か?」クリックを見て下さい。
?団結させるとは、何のためにですか?
一人一人の生身の人間を愛し、優しい心を生み出すことは、団結という発想からは生じないでしょう。
以上、お答えです。
思考とは、自分のもつ「常識」を捉えなおす営みです。自分の頭で考える練習は、何より大きな「徳」と「得」をもたらします。ヌルハチさんにエールを送ります。では。
武田康弘
以後の質疑応答も順次載せますので、お待ち下さい。