「私」につく、ということについて考えてみたいと思います。どうも意味を取り違えられることが多いので。
もし、「私」につく、というのが、自分の判断やありよう(生き方・考えかた)を絶対なものとする態度のことであれば、その人生は豊かさとは無縁になりますし、その人は少しも魅力的ではありません。
わたしが言う「私」につく、という意味は、ほんとうに「よい」ことや「美しい」ことはなにか、を追求するための土台となる態度を指します。人間の営みのすべてについて言えることですが、どう捉え、どう考えたらよいのかを、「私」に深く納得がくるように追求するのは、なにより大きな価値をもちます。
皆が言うから、権威者や上位者が言うことだから、というのではなく、自らの日々の具体的経験に照らして吟味し、「なるほど、そうだな」と「私」が納得する、そのような生き方を可能にする基本の態度を、「私」につく、というのです。
「私」につく、というのは、よい人生を営む基本=土台である、わたしはそう考えています
武田康弘