思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「私」につく、ということの意味は?

2011-03-11 | 恋知(哲学)

「私」につく、ということについて考えてみたいと思います。どうも意味を取り違えられることが多いので。

もし、「私」につく、というのが、自分の判断やありよう(生き方・考えかた)を絶対なものとする態度のことであれば、その人生は豊かさとは無縁になりますし、その人は少しも魅力的ではありません。

わたしが言う「私」につく、という意味は、ほんとうに「よい」ことや「美しい」ことはなにか、を追求するための土台となる態度を指します。人間の営みのすべてについて言えることですが、どう捉え、どう考えたらよいのかを、「私」に深く納得がくるように追求するのは、なにより大きな価値をもちます。

皆が言うから、権威者や上位者が言うことだから、というのではなく、自らの日々の具体的経験に照らして吟味し、「なるほど、そうだな」と「私」が納得する、そのような生き方を可能にする基本の態度を、「私」につく、というのです。

「私」につく、というのは、よい人生を営む基本=土台である、わたしはそう考えています


武田康弘

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