思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

対応不能な停電時間帯の設定―東京電力の官僚主義的な発想に呆れる。

2011-03-14 | 社会批評
絶対安定の「立場」が生む「愚かさ」。東京電力の初歩的ミスの連続を見ると、自分の力で生活しているふつうの人々の「確かさ」と、税金などの「特権的なお金」で仕事をする人・組織の愚かさが、見事なコントラストをなしています。

これほどの大災害に見舞われても、誰もパニックにならずに冷静に行動する多くのふつうの国民。それに対して、東京電力の幹部社員(官僚と同じ立場の人々)の無責任性と愚かさ。

原発事故で、基本コンセプトの初歩的な問題性が明らかになっても、謝罪すらしない態度は、官僚主義に染められた霞が関と同じ。さらに酷いのは、計画停電をめぐる右往左往と時間帯設定のムチャクチャさ。

朝と夕方から夜にかけての2回の計画停電とは、計画性の欠如した呆れる他ない方策。ほんらいは、「徹底した節電」を呼びかけることを基本に、停電が必要ならば、21時以降の一回にすべき(分散が必要でも昼間は1回)。生活の工夫でしのげる停電をまず実施し、それでも不足する事態に陥った時に昼間の時間帯を追加するのが現実的な考え方のはず。

時間帯を極めて機械的に設定し、生活の実情を無視した「計画ならぬ計画」には、机上の勉強しかできない(=本質的に頭が悪い)人に共通の愚かさを感じます。繰り返しますが、日本のふつうの多くの人々は優れているのですから、国民を信頼し、まずは徹底した節電を訴え、21時以降のみ(分散が必要でも昼間は1回)の停電を実施すべきです。


武田康弘
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする