NHKのニュースで、「昭和天皇実録」のことを報じていました。
宮内庁が天皇制維持の立場から編集したものですが、
(苦渋のという形容詞をつけて)昭和天皇が日米開戦を決断したと明記されているとのこと。
改めて、明治政府が作成した「国体思想に基づく近代天皇制」について思いを巡らせました。
満州国建設(中国大陸を侵略)を積極的に認め、そのまま10年後には対米戦を決めた昭和天皇のヒロヒトは、戦後に自害も退位することもなく、寿命をまっとうしましたが、敗戦の責任もとらずにそのまま同じ天皇という名を貫いたわけです。神々の系譜である天皇とは「生きている神」であるとする戦前の天皇から、無条件降伏した後の「人間天皇」を一人で演じたのです。それが同じ「昭和時代」と呼ばれるのですから、もう言語に絶する話で、理性の入る余地はありません。
個人としては、ヒロヒトは被害者でも加害者でもあるでしょう。明治政府のつくっ思想と制度の中で育成された一人の男の悲喜劇を最期まで、おそらく演じるという意識すらなく演じたわけですが、彼を通常の一個人とみなすにはあまりに特異です。一人の人間を評しようもない存在にしてしまう明治以降の「近代天皇制」とは、深部から人権を消去する装置と言えるようです。
天皇とよばれる男性の人権も、皇族以外の人間の人権も、タブーをつくることで奪い、一番深い地点で個人の自由=実存を消去して全体一致させる仕組みが「近代天皇制」です。「私」の思想及び良心の自由は、公共空間からは消去されるのです。日本人なら誰でもが知っていることです。
それにしても1975年の秋、アメリカ訪問から帰国したときの昭和天皇の発言ほど恥ずかしいものはなく、声を失います。
「陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっていますか」との記者の問いに対して、
「そういう言葉のアヤについては、私は文学方面はあまり研究していないので、よく分かりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」
はーーーっ とため息をつくしかありません。どこの国でも通らない話がわが国だけは通る。なんということでしょう。
武田康弘