思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

中1の授業で『ローマの休日』を見る。 恋におちる 哲学=恋知の核心をつかんだ。

2014-09-12 | 教育
 

 中学1年生の女の子三人に『ローマの休日』を見せました。体育
祭の一日練習で疲れていたので、数学はやめて、映画鑑賞にしたのです。
皆、後半のアン王女と新聞記者が「恋におちる」場面からは、引きずり込まれるように見入り、深く感動した様子でした。顔は紅潮し、輝いています。


 わたしは、
いまのが哲学=恋知だよ、と話し、
「恋する次元」=聖なる狂気と「恋しない次元」=俗なる正気の対比が見事でしょ、と言いました。

「恋におちる」ことで、アン王女は一晩で別人に変わった=精神の自立を得て一人の人間となったこと、
現実的な得(多額の報酬)を超えて、「恋する次元」の高みに昇った新聞記者とアン王女との心と心が通い合う場面は、この世のものとは思えない美しさ=善美のイデアに直接触れるかのような感動を与えますが、そのイデアの世界を垣間見た中学1年生たちは、一瞬にして、哲学=恋知の核心を掴みました。上気していました。

「ただの日本人ではなく、優れた人間になるためには、善美に憧れる精神が必要で、それを分からせてくれるのが、「」だよね。恋は、人間の人間的な生の象徴と言えるよね。二千数百年前の古代ギリシャでソクラテスが示した「恋する次元」(=聖なる狂気)こそが、現実的な利害損得の「恋しない次元」(=俗なる正気)を支える基盤で、その逆ではないこと、それが恋知の意味なんだよ。」

黒板には、

 「恋する次元」=聖なる狂気 と「恋しない次元」=俗なる正気、ーー恋知・哲学の核心 

      恋愛が精神的自立を生む    人間の生きる意味は、善美に憧れる恋心にある。

と書きました。


 明治政府が「恋愛」を忌避し、日本の長い伝統を壊して「見合い結婚」を進めたわけを話しはじめたら、もう途中で、皆は、納得・ナットク・なっとく。深い強いよろこびで目と顔がピカピカ光っていました。


 数学以上に価値ある授業になりました。



武田康弘

コメント
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