再び、強烈な説得力!
元自衛官(防空ミサイル部隊)の泥さんが、「従軍慰安婦」の実態と問題の核心を書きました。
いま、この「思索の日記」の読者で、コロライド州在住の高槻さんが英訳を進めています。年内には、世界に向けて、日本の良心=従軍慰安婦問題の真実と深い謝罪を発表します。
安部首相と内閣のウソが白日の下にさらされています。必読です。
(「集団的自衛権反対」の泥さん演説には12万件の「いいね!」を頂き感謝です)
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori157.htm
以下は、内容の一部です。全体は、上のURLをクリックしてください。
【従軍慰安婦の真実】2
慰安婦は性奴隷だった その2
1.合法的な売春契約と違法な売春契約のちがいを知ろう
今回 は、大日本帝国の国内法の観点から見ても、慰安婦は性奴隷であったという話です。
明治政府は娼妓契約を「牛馬と異ならず」として奴隷契約だったと認定したというのが、前回のお話でした。
その理由は、娼妓契約が「人身売買」であり、人身の自由を奪う契約だったからです。
明治5年 太政官布告第295号
「人身を売買することは古来から禁じられているのに、年季奉公など色々の名目を使って、実際には人身売買同様のことをしているので、娼妓を雇 い入れる資本金(親に貸 し付ける契約金のこと)は盗難金とみなす。貸した金を返せという訴えは認めない。」
中には「娘は買ったのではなく養女にしたのだ、我が子に何をさせようと親の勝手だ」という理屈で売春をさせていた者もいたようです。
太政官布告は続けます。
「子女を金銭で取引して名目的に養女にし、娼妓・芸妓の仕事をさせるのは、実際上はすなわち人身売買である」
こうした措置で、明治政府は売春業は禁じなかったけれど、人身売買契約にもとづく売春業を禁じたのでした。
この太政官布告が廃止されたのは明治33年です。
この年、『娼妓取締規則(しょうぎ とりしまりきそく)』(内務省令第44号)が出されたので、布告は役割を終えたのです。
『娼妓取締規則』は売春を一般的に禁じました。
ただし、法令に従うことを条件に、例外的に売春を認めたのです。
この規則を理由に、帝国政府は「娼妓契約は奴隷契約ではない」と言い続けました。
それというのは、規則に「何人たりとも廃業を妨害してはならない」と決めていたからです。
娼妓取締規則は、娼婦に「契約破棄の権利」と「廃業の自由」を認めました。
警察に届けさえ出せば、いつでも辞めることができたのです。
奴隷契約は、人身を買われた奴隷側から契約を破棄することができません。
これと異なる娼婦契約は、人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、したがって奴隷ではないという理屈です。
娼婦が辞めるのは「届出制」。ここ、大事なのでおぼえていてください。
しかし前借金がある場合、娼婦を辞めても借金契約は残るという仕組みだったので、借金を返すために娼婦を辞められない現実もありました。
人身売買の形は回避したけれど、こんどはいわゆる「債務奴隷」の立場に置かれたのです。
それにしても、辞める自由が法的に保障されてはいたのです。
借金を連帯保証人(たいて いは親)に押し付ける気になれば、辞めることは出来ました。
自己破産してしまえば、自分だけは助かります。
親方が「借金を返さない限り辞めさせない」と引き止めるのは違法です。
そういう大審院(いまの最高裁)の 判決がたくさんあります。
2. 慰安婦制度は合法的な売春制度だったのか
親が娘を担保に前借金をして娼婦に出すことを、「身売り」と言いました。
貧しい農村では身売りが多くありました。
身売りという言葉が示すとおり、実質上は人身売買ですが、法律的には娘には廃業の自由があるため「担保」の意味がないと見なされ、人身売買に当たらないということになっていたのです。
こうしたことから、慰安婦否定側はいいます。
特別に慰安婦だけが悲惨だったのでもなく、奴隷だったのでもないと。
日本軍慰安婦は「身売り」契約による売春だ。
悲惨であったにせよ当時としてはありふれた話だ。
また当時、それは合法だった。
本当でしょうか。
ここでは、「身売り契約は奴隷ではない」という言い分を、いったん認めましょう。
そのうえで、慰安婦契約がどんなものだったのかを確かめます。
日本軍の慰安婦関係契約資料は散逸してほとんど残っていないのですが、運良く「馬来軍監区」の契約原本が残っていました。(写真)
馬来とはマレーのことです。
マ レーを占領していた南方軍は、慰安婦の管轄権限を師団ではなく南方軍司令部に一括していたので、東南アジア方面では馬来軍監区と同じ契約 だったと推測できます。
その資料に、書かれています。
「営業者および従業員は、軍政監の許可を受けるにあらざれば、転業転籍をなすことを得ず」
「営業者および稼業婦にして廃業せんとするときは、地方長官に願い出てその許可を受けるべし」
慰安婦が辞めるのは「許可制」だったのです。
官の許可がなければ辞められませんでした。
自由に辞められなかったのです。
先に娼婦の退職・廃業は「届出制」であるといいました。
届けさえすれば自由に廃業できるから人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、奴隷契約ではないというのが、帝国政府の建前でしたね。
慰安婦はこれと異なります。
廃業が許可制で、自由に辞められませんでした。
それなら、人身を身分的に拘束する契約ということになり、これは人身売買であると言えます。
つまり慰安婦契約は、帝国政府が禁じていた奴隷契約なのです。
しかも許可を与えるのは官庁です。
人身拘束制度=奴隷制度に官権が直接関わっているのです。
日本政府が「慰安婦は性奴隷ではない」と抗弁できる余地はまったくないと思います。
2014年7月30日 泥 憲和