思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

いま、最も学ぶべき石橋湛山(第55代総理大臣・哲学者)の思想と実践。

2011-03-10 | 恋知(哲学)

『白樺教育館』のソクラテスクラス(高校・大学部)では、第55代総理大臣・『石橋湛山評論集』(岩波文庫)の学習を始めています。また、4月からの鎌ケ谷市中央公民館での学習会(「とわの会」)でも同書の勉強会を始めます。

以下は、そのための基礎知識です。


1910年(明治43年)は、「大逆事件」が起こり、幸徳秋水らの社会主義者が無実の罪で死刑に処された年です。「官治主義」(天皇の官吏である東大法学部卒の官僚による支配)の産みの親である山県有朋の意思ですが、政治や思想にはほとんど縁のない志賀直哉も明治政府の所業に激怒し、これ以降、保守的な森鴎外でさえ現実問題を題材にした文学を断念。「歴史小説」しか書けなくなります。
また、この年、明治政府は韓国を併合し、韓国を天皇の直轄地としました。

既成の権威を否定し、個性の全面的な肯定を謳った同人誌『白樺』(柳、武者小路、志賀ら学習院の異端児による)が創刊されたのは、国家主義が猛威をふるい始めたこの年・1910年でした。

その翌年の1911年に石橋湛山は、東洋経済新報社に入社。『東洋時論』の編集者・執筆者になります。27歳の時です。
「自由民権」と叫ぶだけの時代ははるか後方に退き、「問題の社会化」という「積極的建設の時代」にわれわれは立っていると説き、口語による平易な文体と、明晰な文意による論説を次々と発表します。
明治天皇の死に際しては、『東洋経済新報』の「社説」に「乃木大将夫妻の自殺に伴って起こった現象の如き、吾輩は殆ど呆れ変えざるを得なかった。・・なぜ議論のある人には、あるだけの議論をさせないのか。」と【盲目的挙国一致】を批判する論説を載せました。入社2年目の時です。

それ以降、第二次世界大戦の敗戦(1945年)まで、一貫として「大日本主義」=「帝国主義」と軍備拡張に反対する論説を「社説」等に発表し続けたのです。
早稲田大学で、田中王堂を介してデューイのプラグマティズムを学んだ哲学徒である湛山は、個人主義・自由主義を血肉化し、一人の自立した人間として、労働者や農民にも、政治家や著名人にも、全く対等に向き合ったのですが、その徹底した「個=人間」の哲学・生き方・姿勢が、言論弾圧の時代にも政府批判を可能にした根拠です。誰に対してもおもねるところのない「自由主義」の信念の人には手出しができなかったのです。

大正デモクラシーを牽引した湛山の「社説」の標題は、それだけでも激辛です。「哲学的日本を建設すべし」「愚かなる神宮(明治神宮)建設の議」「民衆暴動の意義を知れ」「過激派政府(ロシア=ソ連)を承認せよ」「朝鮮暴動に対する理解」「騒乱(米騒動)の政治的意義」「大日本主義の幻想」「死もまた社会奉仕(山県有朋の死に対して)」・・・・

また、彼の言論活動には実践・行動が伴っていました。日本初のデモ(普通選挙要求)の副指揮者となり、「国民主権」思想の下に、官僚主義の根源的打破と、地方自治の重要性と、女性を男性と同じ社会人と遇して参政権を与えるべきを訴え、デモの先頭に立ったのです。


「一人の人間として生きる」ことを最大の価値とする哲学を貫き通した石橋湛山という優れた先達に学ぶことは、いまだに「特捜検察」(憲法違反の独裁的権力)による支配がつづき、民主主義の発展が阻害されている現状において、とても大きな意味があると思います。「思索の日記」の読者のみなさま、まだお読みでなければ、岩波ブックレットNo.510『石橋湛山と小国主義』(井出孫六著)と併せて勉強してみて下さい。


武田康弘

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多くの政治家が「ネットウヨク」と同レベルの「形式論理」に陥っているようです。

2011-03-08 | 恋知(哲学)
前原外務大臣の献金問題を追求する野党政治家の発言を国会中継で見ていましたが、あまりに次元の低い追及にウンザリしました。

自らは知らなかった在日韓国人からの小額の個人献金について、「外国人から金を受けるとは何事か!」とスゴム野党議員は、ネットウヨクの愚かな「形式論理」による他者攻撃・排撃と瓜二つです。

全体を見通す=大局観がなく、些細な形式的な問題で攻撃する、とにかく攻撃することが目的。何ということか、政治論戦とは、揚げ足取りのことでしかない。事前に用意された「紋切型の結語」に導くだけの全く内容のない議論もどき。

「理性」(=弁証法的な総合的思考)はどこにいったのか、「受験知」しかなければ、論理とは単純な「形式論理」のことでしかなく、これでは、漫画家の小林よしのりに先導されるネットウヨクと同じ、と断じられても抗弁のしようがないでしょう。

政府関係者もですが、野党のみなさんは、総合的な「理性」を身につけてほしいものです。以下は、形式論理と弁証法的論理について簡潔に説明したものですので、参考にしてください。

<平面的な形式論理>から<立体的な弁証法的論理>へ至るには?

ニュートン的宇宙観は、空間は同じ大きさを保ち、時間は一様に流れるとする「静止した宇宙モデル」ですが、現代の宇宙観は、ビッグバンに始まる「動的宇宙モデル」です。

論理といえば、アリストテレスの「形式論理学」が有名ですが、これは、ニュートンの「静止した宇宙モデル」と同じで、AはAでありBではないというものですが、この論理は、一定の時間内で、一つの視点から見るという条件であれば、当然「正しい」のです。

しかし、視点を変えてみると、Aは必ずしもAとは言えず、また、時間を考慮にいれると、AはいつまでもAであるとは言えないことが分かります。
とりわけ、人間や社会の問題を考えるときは、一つの視点だけで見、判断することはできず、また、事象は時間の経過と共に変化していきますので、形式論理の枠内で考えると、言語上は明晰でも、非現実的な判断・結語となります。
また、量の大小は質の違いを生みますし、場の違いも対象の性質を変えますので、この点にも留意しないといけません。

(1)事象を、時間的変化を意識し、生成・発展するものとして見ること、
(2)いくつもの視点から見て、だんだんと認識内容を豊かにしていくこと。
(3)量質転化を自覚し、場の相違も考慮しなければならないこと。
思考・論理は、この三点を絶えず意識しなければ、現実において有用な内容をもちません。

ほんとうに論理的に考えるとは、現実・実際を「形式論理」の中に閉じ込めることではなく、文字言語が陥りがちな平面的明晰さを超えて、事象を立体視する営みです。日々の現実の中で、問題意識をもち現状打開的に生きないと、論理は必ず平面化して、形式論理に陥っていきます。

生々しいビビッドな現実感覚を持つことが、生きた立体的論理・弁証法的論理に至る条件です。優れた論理的思考の基盤は、生活世界における鋭敏な感覚・生き生きとした感性・柔軟な心・豊かなイメージにあります。自我防衛の鎧を着ていたのでは、論理は硬直化して、有害な「為にする理屈」になってしまいます。

武田康弘

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小沢さん元秘書の公判ー検察特捜の架空のストーリーが明白に。武井繁明

2011-03-07 | 社会批評
以下は、武井さんからのメールです。


既存メディアは詳細に報道しませんが、小沢さんの元秘書3人の公判で、検察特捜の酷い取り調べの実態と、事件自体が、特捜の架空のストーリーに基づいたものが明らかにされてきました。江川詔子さんが、毎回傍聴し、様子をツイッターでその日のうちに伝えてくれるので、助かります。 既存メディアが伝えたがらないのは、自浄力が欠如しているからで、は、自浄力を持たない両者がタッグを組み小沢一郎という極めて有能な政治家を貶めていることを、多くの人たちが気づいていないこと。まんまと悪徳タッグチームに騙され、ネガティブな風の一部になっていることがやるせない思いです。

しかし、どうやら小沢さんが仕掛けたトラップに検察もメディアも掛ってしまったようです。このトラップというのは、小沢さんの策謀でも権謀でもなく、折れることなく自らを主張し続けたことだと思います。 半年のうちに総理になることが確実視されていた人に、スキャンダルを検察が起こし、議員辞職を狙いました。議員辞職すれば、捜査はそれ以上進まなかったはず。というか、進めようがなかったのが実態です。
捜査をすればするほど、自分の首を絞めることになる。自分の首を絞めながら、無理筋の捜査を重ね、石川議員を民主党大会の前日に、通常国会直前に逮捕するという、強引な愚挙に出ました。欧米の民主国家では考えられない、強引な逮捕と拘留でしたね。
それでも、小沢さんは主張し続け、姿勢を崩さないことが検察と既存メディアとの闘いでした。貶められ続けた状況の中で、負けはしましたが代表選で闘い、今となっては、検察も既存メディアも大きな痛手だと思っているに違いありません。菅さんは、民主党を破壊の道に導き、自民党を支持する人が増えるわけでもなく、議会制民主主義が溶解しそうな状況に近づいています。
検察と既存メディアが、整いつつあった議会制民主主義を壊してしまう大きな要因を作ったことは間違いありません。
ようやく事の重大さに少しは気付いたのか、検察も既存メディアもここにきて保険をかけ始めています。自浄力が働いたのではなく、流れから少しずつ身を引くための保険です。

すでに、小沢さんの公判では、水谷建設から流れたと検察が言っていた違法献金とされるものについて、争うことをやめました。当たり前なのです。初めから存在しなかったわけですから。
一方で3人の秘書の公判では、大久保さんを取り調べたフロッピー前田が作った調書が取り下げられ、公判維持さえおぼつかない状態で、二つの公判が何のために行われているのか、分からないほど溶けてしまっています。
石川議員が録音した取り調べの様子も証拠採用され、石川議員の女性秘書が、不当な取り調べを受け恫喝された事実も公判で明らかにされ、目下女性秘書が証人として公判に出ることを望み、週刊誌に不当取り調べの一部始終を語りました。
また、森裕子議員と市民の地道な調査で検察審査会が、違憲の存在であること。第五検察審査会の審査に意図的な力が働き、結果重大な不備が生まれ、もし証明されれば、議決が無効であることが明らかにされ、その証明までもう少しというところまで来ているようです。
流れが小沢さん側に戻りつつある。しかし楽観はできません。裁判所も既得権益者ですから。

もし、小沢さんが混乱を収拾するために途中で折れていたら、溶解状態は起こることなく、検察のシナリオどおりに事が進んみ、小沢さんが折れて代表選に出なかったら、小沢さんを支持した200名の議員もバラバラになり、既得権力の思うがままに政治が進んでいたと思います。
タラレバの話でしたが、検察の実態がここまで表面化し、既存メディアの実態も暴露してしまったのは、村木さんの冤罪事件だけではなく、同じ構図である、小沢さんをめぐる問題が大きく作用したと思います。お二人とも折れなかったからこそ実態が明らかになりました。
現に検察の信頼は失墜し、既存メディアへの依存度は急落しています。
昨年の秋から、毎週のように全国で起こっている200~1000人規模の、検察と既存メディアを糾弾するデモが、そのことを現わしています。
最近では、小沢支持デモの要素が強くなっている現実。同時に菅政権打倒も叫ばれています。TPP反対、沖縄の基地問題。さまざまな要素を含みながら、これまで静観していた人たちが立ちあがっているという現実。

私たちも、小沢さんや村木さんのように折れてはいけないですね。
ささやかですが、少しでも寄与できればと思います。

武井繁明

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「沖縄の人は怠惰でゴーヤーも栽培できない」ーアメリカ国務省のメア日本部長が講義。

2011-03-07 | 社会批評
米国務省のメア日本部長(前駐沖縄総領事)が昨年末、米大学生らに国務省内で行った講義で、

沖縄の人は、「ごまかしとゆすりの名人」「怠惰でゴーヤーも栽培できない」
「日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをしながら、できるだけ多くの金を得ようとする」
日本政府は仲井真弘多・沖縄県知事に「お金が欲しいならサインしろ」と言うべきだ


という発言を行ったとのことです。

ケビン・メア氏は、1954年生まれ。81年に米国務省入省。2006年~09年まで在沖米総領事。帰米後も国務省日本部長として日米の実務者協議などの際にたびたび来日。東大客員研究員の経験もあり、日本語が堪能。とのこと。

わたしたちの国・日本は、占領下ではありませんので、アメリカとも対等な外交ができる国になっていく必要があります。官僚が治める国ではなく、「主権在民」の原理を徹底する民主主義国家になる必要があるはずです。

そのための「はじめの一歩」は、義務教育において、自分の頭で「考え・対話し・決める」能力を育成することにあります。人間の対等・自由に基づく「民主的倫理」の徹底は、その前提です。「互いの自由を承認し合うことに基づくルール社会」をつくるための実践教育がないと、ペーパー秀才ではない、真に優れた人材(ほんもののリーダー)を育てることはできません。

エリート意識などとは無縁の、実力のあるしっかりした政治家を育成することが必要です。パターン知を身に付けた暗記中心の試験秀才は、使い物にならないのです。
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外務大臣辞任!日本の常識は世界の非常識。

2011-03-06 | 社会批評
下の記事の続きですが、

前原外務大臣辞任。

外務大臣の辞任ですので、海外からの目で書きますが、
世界のどこの国民も政府も、なんで辞任したのか、まったく意味不明でしょう。
ずっと日本で暮らしている韓国国籍の在日の人(前原氏の中学時代の同級生)から5万円×4の個人献金を受けたから辞任した。もう!?!?でしかないのですね。
「日本の常識は世界の非常識!」まったく笑いものにしかなりません。

民主党のテイタラクには呆れて言葉もありませんが、辞任に追い込んで勝利の美酒に酔う自民党もおわっています。
民主政治の原理を明確にする実力者は小沢氏ですが、彼も検察とマスコミの「人物破壊」活動により満身創痍です。

うーん、閉じた島国根性。


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以下は、mixi内のコメントです。

ケンヂ2011年03月07日 00:35

タケセンさん

批判となりますが失礼します。

海外とはまた広い範囲ですが、少なくとも私が暮らしていた
アメリカ合衆国では外国人献金は個人、企業ともご法度でした。
ゆえに私のルームメイトの父が連邦下院議員でしたのでこの点を
よく覚えています。

また、在米時の友人(韓国、ドイツ、イギリス、メキシコ)にも
メールにてそれぞれの国ではどうかを問うてみたところ、
全員一致で「外国人からの献金を受け取れば重罪だよ」との
答えでした。

少なくともアメリカ合衆国、韓国、ドイツ、イギリス、メキシコでは
外国人からの献金受け取りは重罪です。それ以外の国で外国人からの
献金なんて大したことないと見なされている国があればご教授願いた
いです。

「日本の常識は世界の非常識!」とありますが、この文脈で世界とは
具体的にどこを指すのでしょうか?抽象的すぎて分かりにくいです。

最後に、閉じた島国根性とはどのような根性なのでしょうか?

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よしくんぱっと2011年03月07日 04:30

タケセンさんは、外国人からの献金を禁止していることに関してではなくて、このような小額の献金が理由で外務大臣が即辞任することに対して「世界の非常識」と言っておられる。この献金に限らず、瑣末なことを取り上げて揚げ足取り合戦を繰り広げ、日本が辞任・辞任とやっている間に、世界はどんどん動いています。

違法性があることは間違いありませんが、まあ、打たれ弱いというか、打つ方も打ち方の加減を知らないというか…日本人のこんな状況は私も「世界の非常識」だと思います。

>民主党のテイタラクには呆れて言葉もありませんが、辞任に追い込んで勝利の美酒に酔う自民党もおわっています。

私もそう思います。もっとかっこよく政治をやってくれよ。

このままでは、日本国の“辞任”も遠くないのでは?

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タケセン2011年03月07日 10:04

ケンヂさん

異邦人=外国人から献金が禁止は、当然のことです。
わたしは、よしくんぱっとさんの言われる通り「小口の個人献金」での辞任について意味不明と言ったのですが、
もう一つ、
在日への暗黙の差別の問題があります。
1910年以降日本は韓国を併合し、1945年の敗戦まで朝鮮人を日本人に同化させる政策をとりました。その影響で今日多くの在日韓国人が日本で暮らしています。彼らの多くは、日本の学校に通い、日本で生活・仕事をし、税金その他も同じく負担しています。現実的・実際的には彼らは「日本人と変わらぬ社会人」(=「公民」)として日本で生きています。
確かに、国籍が日本ではないゆえに形の上では「外国人からの献金」とは言えますが、在日韓国人の問題は、「外国人問題」ではなく、日本の「国内問題」です。
形式上の問題でつつき出し、実際上は日本の「公民」である在日韓国人からのわずかの個人献金で外務大臣を辞任に追いやる国とは何のか?
「政局」が全てで自他の「国益」を考えない国は、世界の非常識なのです。
なお、この場合の「世界」とは、近代民主主義の原理に基づく国家の集合を指します。


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異常なマスコミ報道=前原問題。

2011-03-06 | 社会批評

もはや、わが国のマスコミは「ヒステリー」としかいえない事態に陥っているのではないでしょうか。
前原問題もその一つです。
わたしは、前原氏の政治思想・実践への批判者ですが、そのことと今回の献金事件とは別次元の話です。

読売新聞の記事(朝日も同様)を読んでわたしは呆れました。なんという愚かな内容か。



「献金額が少ないとか、故意ではないからとかいって、簡単に免責されるような問題ではない。
 前原外相が参院予算委員会で、京都市に住む在日韓国人の女性から政治献金を受け取っていたことを認めた。
 政治資金規正法は、外国人や外国法人から政治活動に関する寄付を受けることを禁止している。日本の政治が外国から干渉・影響されるのを防ぐためである。 特に、故意に寄付を受けた場合は、禁錮や罰金、公民権停止などの罰則の対象になる。
 外相は、自ら把握する献金は5万円だとし、今後、返金して政治資金収支報告書を訂正する考えを示した。だが、自民党の西田昌司氏は予算委で、4年間で計20万円を受け取っていたと指摘した。
 この在日韓国人からの献金の全容と、他の外国人からの政治献金の有無について、外相は速やかに調査し、公表すべきだ。
 外相は、在日韓国人との付き合いは中学生時代からだが、献金を知ったのは予算委の前日だとして故意の受領を否定している。
 外国人からの政治献金が違法であることは政界の常識である。まして前原外相は今、日本外交を統括する立場にある。
 本人が本当に知らなかったとしても、事務所が安易に献金を受け取ること自体が問題であり、外相の監督責任は免れない。民主党の岡田幹事長が言うような「事務的ミス」として、片づけて済ませるべきではあるまい。」(読売新聞)



ここに記されている通り、この法律は、「外国からの干渉を防ぐために」、という目的でつくられたものですが、今回の前原氏に対する献金が、外国からの干渉・影響になると思うならマンガでしかないでしょう。国籍上は韓国人であれ、幼いころからずっと日本人と同じ生活している人からの小額の献金が、日本政治への干渉になると本気で思う人がいるなら、「病気」としか言えません。
もちろん、日本国籍でない人からの献金が違法であることは確かですから、それがわかった時点で返却し、謝罪する必要はあります。
また、事務所が献金を受けた時に、その人の国籍を確かめる作業をしなければならないというのも変です。5万円の寄付をしてくれた人に、あなたは日本国籍ですか?と尋ねるなどは、あり得ない話でしょう。

こんなことで大騒ぎするのは、理性=思考力と現実感覚がない証拠ですが、あまりのバカバカしさにただ呆れるだけです。批判的思考力を養わないと、こういう愚かなマスコミ人に踊らされてしまいます。



武田康弘

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mixiコメント

めくらまし (Cmoon)
2011-03-06 19:17:56
C-moon2011年03月06日 15:38

きっと、個人献金する際は、日本国籍を証明する証書を提出すべきだ。なんて言うんでしょうね。

ツイッターでも一時騒然となり、前原糾弾!がタイムラインを占めていましたが、早くも落ち着いて、既存メディアの異常な加熱を諌め、問題の核心に触れるツイートが多くなりました。
既存メディアが一点集中し加熱する時は、他に隠したいそれ以上の問題がある。というのは現代政治を俯瞰的に眺めていれば、自然と学習できることで、学習の成果の表れとも言えます。

この視点で言うと、隠さなければならない大きな問題は、フロント企業の可能性の高い団体からの政治献金問題だと思います。
こちらでも、前原さんは名前が挙がっていますが、他には蓮舫、野田の民主党議員。渡辺喜美みんなの党代表が、挙げられ本人たちも認めています。
こちらの問題をリークしたのは総務省で、総務省に働きかけられるだけの政治的な大きな力が働いています。 ほぼ同時に、自民党の西田議員が、前原さんの外国人献金問題を参院予算委員会で糾弾しました。
この二つの問題は、個別的な問題ですが、関連しあっていると思います。つまり、西田議員を走らせた大きな力と総務省にリークさせた大きな力が、ぶつかった状態だと僕は思います。
この大きな力というのは、政治の地下水脈に流れている力で、ふだん表に現れず、水脈が枯れるに至るような状況に接した時働くのだと思います。
三井環さんを貶めた力の背景を考えると容易に推察でき、今回も似たような力が働いたのだと思います。

僕が思うのは、外国人違法献金問題よりも、4人の政治家の名前が挙がった問題の方がずっと大きな問題で、こちらが明らかになり問題の発掘作業が進むと、与野党を問わず、政界に大激震が走る要因を持っているのではないか。ということです。

外国人違法献金は現行法上違法ですから、前原さんは小沢さんに執拗に求めたように”説明責任”を今度は自ら果たさなければならないし、何らかの責任は取らなければならないと思います。しかし、既存メディアとそれを鵜呑みのしている、狭量な熱血漢が叫ぶように、即辞任にもましてや議員辞職に繋がるような問題ではなく、小沢さんが言うように、政治の責任の取り方は自ら果たすべきで、前原さんに任せるべきだと思います。
その程度の問題だと思うのです。(タケセンさんの見解に全面的に同意します)
前原さんを国会に送った有権者と前原さんが相談して決めればいいこと。
僕は前原さんの政治家としての資質にも政治姿勢にも、極めて批判的で、これまでも日記に書いてきました。だからこの際辞任してくれればと心情的に思うのですが、冷静さは失いたくありません。前原さんを庇うのではなく、その程度の問題だからです。

フロント企業と思える企業から献金を受けた渡辺喜美さんは、同じ穴の狢のくせに、外国人違法献金を追求し前原さんに辞任を迫っています。
二つの問題の関連性を象徴する言動で、外国人献金問題を最上段に引き上げ、フロント企業問題を矮小化させようとする流れを象徴する最たるものです。
これで仮に前原さんが辞任して手打ちとなれば、もう片方の政界全体を揺るがすと推察できる問題は、忘れ去られていくでしょう。
僕は、これを恐れます。
既存メディアの異常な加熱に乗っている場合ではないと思うのです。
前原さんの首ひとつ取っても、政界の地下を覆っている闇は消えないはずです。

またこうしている時も、辺野古移設で、飛行ルートの日米合意が行われ、『年次改革要望書』に代わる『日米経済調和対話』http://bit.ly/fq3c2Aのアメリカ側の要求が明らかになり、公取委が企業合併基準の緩和を発表しました。6日の「規制仕分け」の項目http://bit.ly/fA3mKpも発表。
なぜか内容が一致しているんですね。これはTPP加盟に向けての露払いに他なりません。

前原さんの首ひとつに過熱に注目しているところで、果たして国益になるのか?という重要な案件の手続きが次々と行われています。
前原さんの首切りを叫んでいる人たちには、大海を見渡してほしいですね。


武井繁明

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きゅんたろー2011年03月06日 16:03

C-moonさん


貴重なコメントであろうかと思います。

そこで質問です。

>隠さなければならない大きな問題は、フロント企業の可能性の高い団体からの政治献金問題だと思います。


これが「大きな問題」となる理由を説明していただけると幸いです。


それと

>こちらの問題をリークしたのは総務省で、総務省に働きかけられるだけの政治的な大きな力が働いています。


これを裏付けるソースを教えていただけると幸いです。

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C-moon2011年03月06日 17:39

きゅんたろーさん

はじめまして。

まず、はじめにこの場は、タケセンさんのページです。
タケセンさんが書かれた内容に沿った展開でなければならないと思います。
そういう意味で、ここで僕が長々と、フロント企業の問題について語ることは不適切です。(また2000字では足りないですし、今書くだけの時間を持っていません)

もし、興味があれば、まずご自分でお調べになり、その上で僕に公開論議としてメッセージにてお送りしていただければ、日記欄に公開し、僕も語ります。
また、機会があれば、それとは別にこれについての問題も日記に書きたいと思っています。

リークしたのが総務省であるというソースですが、元参議院議員とだけ申しておきましょう。
また、総務省が公開している政治資金収支報告書を見れば、調べる気になれば誰でも調べられるわけで、仮に大きな力が働かなくても明かるみに出すことは可能です。
ただ今回の場合は、某議員が望んでいたことが、何らかの力が働き、内閣調査室を動かし、総務省まで動かしたということです。
残念ながらこれ以上このような場で詳細に書くことはできません。
それは御理解いただきたい。



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誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀(ウォルフレン)

2011-03-05 | 書評
『誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀』(角川書店)
カレル・ヴァン・ウォルフレン; 単行本; ¥ 1,680



本書は、『菊と刀』以来の最も優れた日本研究の書として世界的なベストセラーとなった『日本権力構造の謎』(上下二巻)の著者であるカレル・ヴァン・ウォルフレンによる著作です。
『権力構造の謎』(88年英語版、90年日本語版)は、日本の優れた社会学者(言語派社会学)である橋爪大三郎さんにも衝撃を与えた書で、彼が彼我の実力の差を見せつけられて呆然とする様は、文庫版(ハヤカワ文庫)の解説に正直に表されています。
 
『誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀』は、内容の豊富さと明晰性において群を抜く著作を次々とものにしてきたウォルフレンの新作です。わたしは、当ブログ・コメント欄の林さんの紹介で知り、すぐにアマゾンに注文を出しましたが、ぜひみなさんも読まれたらよいと思い、ご紹介します。わたしは届いたら読んで、ブログに感想を出すつもりです。

武田康弘

永田町取材30年以上のオランダ人ジャーナリストが、「小沢一郎」問題の背後に浮かび上がる「非公式権力」と、その支配の構図を徹底解明。検察とマスコミによる「異分子」の抹殺、民主主義を揺るがす「日本型スキャンダル」の罪、そして小沢一郎問題と戦後日米関係を結びつける「密約」の正体とは――。日本の未来を問い直す刺激的論考、騒乱の渦中に緊急出版!

「小沢一郎」問題の本質を照らすキーワード、"Character Assassination 人物破壊"とは?! 標的を実際に暗殺(Assassination)する代わりに、対象の世間的な評判や人物像(Character)に致命的な打撃を与えて表舞台から永久に抹殺する手法。政界や学界でライバルを出し抜く際に用いられ、欧米諸国ではしばしば使われる表現。(本文より) 「しかし、小沢氏に対する日本国内の強力かつ長期的な"人物破壊"キャンペーンは、世界的に類を見ない――」


●日本の読者へ(カレル・ヴァン・ウォルフレン緊急インタビュー)

――なぜ、小沢一郎氏をテーマとする本書を刊行することにしたのですか?

 私が執筆を思い立ったのは、抜本的な政治改革という、多くの日本人が明確な意思表示をもって臨んだ類い稀なるチャンスが失われようとしていると感じたからだ。
 その国にとってとてつもなく重要な展開は、しばしば、大多数の国民が気づかないうちに起こるものだ。人々の関心はきわめて些細な出来事に引きつけられがちである。小沢氏が起訴されたことは当然のことながら国民の関心の的となったが、大勢の人々にとって、それはエンタテインメントのひとつにとどまっているらしい。そして、ある重大な事実、すなわち小沢氏が日本の政治にとってどれほど重要な役割を果たしてきたかという事実を、大半の人は忘れてしまったかに思われる。
 そもそもこれまでの日本では、政策立案をするために必要な機能が停止したままの状態が続いてきた。それは、半世紀以上にもわたる旧態依然とした体制が維持されるよう、自民党が取り計らってきたためなのであり、民主党が自民党から政権を奪い返した意義は、ここにこそあったのだ。
 そして、彼らが自民党から政権を奪い返すことのできるような状況を生み出した人物こそ、小沢一郎氏にほかならない。ところが民主党の政治家の多く、おそらくその半数までもが、真に抜本的な改革をしようという当初の熱意を失ってしまったかに見える。そうした人々は小沢氏の評判を貶め、彼の政治生命を抹殺しようと生み出された架空のフィクションに乗せられてしまったらしい。
このようなフィクションを生み出した人々、特に日本の検察や新聞の編集担当者たちは、かなり早い時点で、小沢氏は現体制という日本の政治システムにとって脅威となる人物であると断定したのだろう。その判断自体は間違っていない。小沢氏がその誕生に手を貸した民主党は、この旧態依然とした政治システム側からすれば、確かに脅威だったのである。

――日本政治の現在の問題点、そして目指すべき方向性はどこにあるのでしょう?

 民主党を政権の座につけたのは、日本の政治システムの問題を修復するという同党の約束を信じた日本の有権者たちである。つまり日本の有権者は、民主党と小沢氏に、日本が世界の先進大国となったあと何十年にもわたって続けられてきたやり方を変えてほしいと望んだのである。
 本書のなかで私は、日本のシステムは超法規的であると記した。これは、そのようなシステムを真に民主的なやり方で制御する手段が、日本国民の手中にはないということを意味している。そしていま、このような超法規的なシステムを維持しようとする人々は、小沢氏が犯罪者であるかのように喧伝することで、国民を欺こうとしているのだ。 彼ら自身は、自分たちが正しいことをしていると信じている。ただし彼らにとっての正しいこととは、混乱をもたらしかねない不確かなものを、どんなものであれ阻止するということである。彼らの行為を、理解できないわけではない。だが私は、政治による舵取りを真に実現し、本当に解決すべき問題に取り組む必要があるということを理解していた日本の人々をこそ、いっそう強く支持する。
 日本が解決すべき問題のひとつは、国際社会における日本のポジションである。日本を直接取り巻く東アジア地域の状況は、一変した。ところが日本政府はこれまでのところ、日本とその近隣諸国の双方にとって有益な方法で新しい状況に適応することができずにいるようだ。
 この問題には、日本のアメリカへの依存体質が密接に関係している。ではなぜアメリカに依存するのか? それは、政治的な舵取り機能を果たす真の政府の存在が日本には欠如しているからである。これこそ、民主党が改革しようと望んだことなのであった。

――最後に、日本の読者に向けたメッセージをお願いします。

 私は日本人ではないが、他のいかなる国にも増して、日本は私の人生にとって重要な存在である。私はこれまで20年以上にもわたって、多くの著書やエッセー、記事を通じて、幅広い日本人読者に語りかけるという幸運に恵まれてきたのだ。だからこそ私は、日本の人々の将来に何が起こるかということに、強い危惧を抱いているのである。

(以上は、角川書店のブログからです)


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間違った受験主義を正す教育モデル=「ソクラテス教室」in白樺教育館のパンフ

2011-03-03 | 教育
現代日本の教育は、受験主義という間違った考え方の下で、収拾がつかなくなっています。テストの点数が目的=価値であるという思い込みは、まるで新興宗教のようです。この「狂気」は、一人ひとりの人間の生と公共世界に計り知れない不幸と危険をもたらしています。

1976年から35年間、この間違った教育思想と実践に対して否を唱え、よいモデルを示すことに努力してきた【「ソクラテス教室」in白樺教育館】の2011年度のパンフレットが出来ましたので、ぜひ、ご覧ください。

白樺教育館の「ソクラテス教室」へ通う子供たちには、トップクラスの成績の子たちがいますが、彼(彼女)らは、公式代入のパターン知による勉強ではなく、自分の頭で意味をつかむ意味論としての勉強をしています。点数が目的ではなく、内容の了解=納得が目的なのです。

こどもたちへの愛を持つ理性ある大人が協力して、優れた教育をつくりだそうではありませんか。ぜひ、ご一緒に!
ホームページに載せたパンフは、pdfファイルになっていますので、プリントアウトしてご活用ください。

白樺の教育ーソクラテス教室ー1976~2011



武田康弘
コメント (2)
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白樺教育(ソクラテス教室)へのご招待ー4つの文章

2011-03-01 | 恋知(哲学)
白樺教育館のCLASS-【ソクラテス教室】(小学クラス~大学クラス)への招待のために、案内書(B4両面)をつくりましたが、そこに載せた4つの文章を以下にコピーしますので、ぜひ、ご覧下さい。ご意見をお待ちします。

白樺の教育  ―ソクラテス教室― 1976~2011

 ほんらいの勉学は、自分の頭を悩ませて、「うん、なるほど」と納得を得ることです。点数競争ではありません。
 受験第一の勉強では、知ること・考えることの楽しさが得られず、納得=意味了解の喜びとは縁がなくなりますが、それでは「私」を活かせず、一生の損としか言えないでしょう。
 「優れた知」のために必要なのは、自分の経験につき、自分で見、調べ、想い、考える学習です。ソクラテス教室では、35年の豊富な経験をもつタケセン(武田康弘)が、「納得したい人」を親身にサポートしています。
 小学生~大学生のみなさん、美しく充実した設備をもつ『白樺教育館』で、関心を広げる勉学を共にしてみませんか。「心身全体による会得」ができるようになると、頭はどんどん回り始めます。「心と頭の幹を強くする知」は、自立した豊かな人間になるために何よりも大切です。


武田康弘のプロフィール1952年 東京・神田生まれ。
白樺教育館・館長。白樺文学館・初代館長。哲学者。        
*最近2年間の主な活動:
2009年~2010年、参議院「行政監視委員会」の客員調査員に任命され、国会所属の官僚に哲学の講義を行う。2010年、中央学院大学で「哲学のすすめ」、東洋大学大学院で「公共の哲学」を講義。金泰昌・武田康弘の「哲学往復書簡30回」が東京大学出版会より刊行―『ともに公共哲学する』(2010年8月初版)。


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  「問い」をよろこぶと、強い頭が育つ。  

 幼い子ほど、なぜ、どうして、とうるさいくらいに問いを発します。
 そのとき、どういう態度を親や教師がとるかで、子どもの未来は大きく変わります。子どもは、なぜ、と意味を問うているのです。ただの知識・事実ではなく、それにはどんな意味があるのかを知りたいのです。
 何より大切なのは、その問いに対して、親や教師が一緒に考えようとすることです。答えられなくてよいのです。「不思議だね」「なぜだろう」と一緒に考えようとする態度が、優れた頭、芯の強い頭をつくる条件です。
 むやみに「もの」を与えるのと同じように、羅列的な知識・事実を与えると「表層的な知」しか持てない弱い頭になってしまいます。大人が子どもの質問をよろこび、わけを一緒に考える、それが「意味論=本質論」としての強い知をつくるのです。
 年を重ねても「問答」する人として生きられたら楽しいはず、わたしはそう思っています。(Takeda)


―――――――――――――――――――――――――――

情報化された知 と 心身全体での会得  

 活字・音声・映像の溢れるような情報の中で、私たち現代人は、〈情報化された知〉と〈心身全体での会得〉との相違をあまり自覚しなくなっているようです。
 このことが、子どもたちの教育の場において深刻な問題を生みだしています。
 現代は、受験主義の手法が支配しているために、なまの直接経験をもつ余裕がなく、記号や観念の操作が優先されます。しかし、〈五感〉を使っての認識や思考錯誤がおろそかになると、現実と観念が遊離する結果、自分の力で「意味をつかむ」ことが出来なくなります。
 「心身全体による会得」という知の方法を身につけないと、当否を確かめる最終の根拠である内在が希薄となり、生き生きとした現実感が消えるのです。これは、実に恐ろしい現代の病と言えましょう。 (Takeda)


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子育て・教育の基本は、心身全体による愛です。

  お母様、お父様、すでにご経験の通り、子育て・教育の基本とは、文字通りの触れ合い、だっこしたり、おんぶしたり、ふざけあったり、また、心のこもった視線や感情の豊かな抑揚のある言葉で接すること。ひとことで言えば、心身全体による愛です。
 いうまでもなく、理屈以前の楽しい触れ合いがなければ、健全な心をもつ人間は育ちません。愛情とは、心身全体によるもので、子どもが自分を心底「肯定」できるのは、全身で愛されているという実感のみです。愛されて育つ子は、他者をよく受け入れ・愛することができます。
 もしも、子どもを「言葉」だけで教育できると思っている方がおられるなら、それは明らかに間違いです。子どもが著しい適応障害を起こすのは、「理性」の不足ではなく「愛」の不足によるからです。心身全体による愛は、人間のさまざまな営みを「よい」ものにするための基本条件なのです。(Takeda)

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