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我々はいづれも機関車である。我々の仕事は空の中に煙や火花を投げあげる外はない。土手の下を歩いてゐる人々もこの煙や火花により、機関車の走つてゐるのを知るであらう。或はとうに走つて行つてしまつた機関車のあるのを知るであらう。煙や火花は電気機関車にすれば、ただその響きに置き換へても善い。「人は皆無、仕事は全部」といふフロオベエルの言葉はこのためにわたしを動かすのである。宗教家、芸術家、社会運動家、――あらゆる機関車は彼等の軌道により、必然にどこかへ突進しなければならぬ。もつと早く、――その外に彼らのすることはない。
我々の機関車を見る度におのづから我々自身を感ずるのは必しもわたしに限つたことではない。斎藤緑雨は箱根の山を越える機関車の「ナンダ、コンナ山、ナンダ、コンナ山」と叫ぶことを記してゐる。しかし碓氷峠を下る機関車は更に歓びに満ちてゐるのであらう。彼はいつも軽快に「タカポコ高崎タカポコ高崎」と歌つてゐるのである。前者を悲劇的機関車とすれば後者は喜劇的機関車かも知れない。
――芥川龍之介「機関車を見ながら」