細君と「源氏物語 千年の謎」というのを録画で観た。「千年の恋 源氏物語」とかいうのが昔あった気がするのだが、松田聖子がいきなりJPOPを空中で歌いだしたりするので笑ってしまった記憶しかない。だいたい源氏の文章を近代的な個人を主人公に映像化したいという野心自体が、六条御息所の怨霊も逃げ出すレベルの恐ろしさである。
その「千年の謎」であるが、道長に乱暴された紫式部の怨念が、六条御息所の怨霊となったというつくりであった。で、六条御息所が伊勢に引きこもるのうけて、紫式部も自分の憎しみが道長を襲ったりしないようにか?、田舎に引っ込んでしまう顛末である。逃げてんじゃないよ、紫式部。
で、紫式部は、道長=源氏は威光と同等の苦しみを味わうべき、という論理で物語をおさめていたが、はたして、そんなに幸福と不幸は釣り合っているものであろうか?我々はそんな風に自分の人生を思い込むことはできるかもしれない。あるいは道長はそうだったかもしれんが、光源氏はそれにしては権力構造のなかの絶妙な位置にいるので、――彼にとって自分の人生なんか自分でコントロールできるものじゃないのである。
声はせで身をのみ焦がす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ
確かに、人はいろいろなことを考えているのであろう。
その「千年の謎」であるが、道長に乱暴された紫式部の怨念が、六条御息所の怨霊となったというつくりであった。で、六条御息所が伊勢に引きこもるのうけて、紫式部も自分の憎しみが道長を襲ったりしないようにか?、田舎に引っ込んでしまう顛末である。逃げてんじゃないよ、紫式部。
で、紫式部は、道長=源氏は威光と同等の苦しみを味わうべき、という論理で物語をおさめていたが、はたして、そんなに幸福と不幸は釣り合っているものであろうか?我々はそんな風に自分の人生を思い込むことはできるかもしれない。あるいは道長はそうだったかもしれんが、光源氏はそれにしては権力構造のなかの絶妙な位置にいるので、――彼にとって自分の人生なんか自分でコントロールできるものじゃないのである。
声はせで身をのみ焦がす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ
確かに、人はいろいろなことを考えているのであろう。