★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ブーレーズを我等の手に

2016-01-06 23:17:47 | 音楽


音楽について勉強不足で、死去したブーレーズについてちゃんと語れないのが悲しい。人間ちゃんと勉強しておかないと、無駄に歳を重ねても嫌なものだけでなく理解不能なものまで増えてしまう。音楽や文学はそりゃ個人的に楽しめりゃそれでいいのかもしれない。いや、違う。我々は他人とコミュニケーションする生き物であり、音楽なり文学が非常に高度なものになっていた場合、それがどんなものか理解しようとする必要があるのである。しかし、その理解をする方法について、ラテン語を解する者だけがそれを解する式のやり方に限界があったというのが、重要である。ブーレーズもジョイスも石川淳も何もかも、みんなが母語の頭で触れる必要がある。それが文化の豊かさを生むので、わたくしが常々ナショナルなものから目を背けてはならないと言っているのはそういう意味である。大学が、専門学校になってしまうと、当然グローバル化のために英語や中国語で授業をやるべきだから、そんな機会は失われてしまう。

ブーレーズが現代音楽だけでなく、マーラーやブルックナーまで演奏して人気者になっていったことの評価はいろいろあるだろうけれども、ブーレーズの演奏を聴かなければ、音楽が「知」であることに気がつかなかった人は多いのではないだろうか。音楽家、音楽学者だけが分かっていればいいのではない。理解の程度はいろいろあっても、少しは理解する必要があるのである。それで我々はようやく近代以降の「人間」になれるのではなかろうか。それは多くの人にとっては「国民」化を潜らなければ無理だったし、これからも多分無理である。しかも、言うまでもなく、その理解には、きちんとした学習の後の、理解の異なる人間とのおしゃべりが必要だ。解釈の多様性を言い訳に、自分の理解だけを正当化し理解できない側面を抹殺しようとする方向に向かう人の大量発生を防ぐためである。

女性の活躍応援団

2016-01-06 17:19:34 | ニュース
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0050/womanact/#top


活躍しそうな人間を、すっとこどっこいが足を引っ張っている。「みんながいいところあるよね教育」は、そのすっとこどっこいを調子こかせてしまった。それぞれの個人が違っているのは当たり前だが、だからといって「みんな違ってみんないい」とはならないのも当たり前ではないか。小学校の教育の方便として教師がそれを言うのはあり得るが、社会においては、みんなの良いところ悪いところを指摘するのは本当は容易ではなく、果てしない価値に関する論争に巻き込まれることを意味する。そういや、学会で、「今日は興味深い発表をありがとうございました」という社交辞令をやってから質問に入る習慣が広がってきているが、こういうものこそたちが悪い上から目線の価値判断と言うべきである。勝手にレフェリーせずにさっさと質問に入るほうが、相手に対して丁寧なのではないか?

そういえば、フェイスブックで「いいね!」とかいうボタンがあるが、「イイね!」「いいか?」「いいっ!」「ええ、よくってよ」「異議なし!」「いい気もする~」「よい気がしないでもない」「グッドジョブ」「いいねはよくない」、「きれいはきたない」「者ども!」「恋の始まりは晴れたり曇ったりの4月のようだ。」「ルークわしが父親だ」「嘘だー」など、開口一番口にしてこそ効き目がある言葉を抑圧するのは、明らかに「よくない」。

まあ要するに、社交辞令や極端な判断は褒めるにせよけなすにせよ暴力だということである。問題は、そういう極端な言葉ばっかりがやりとりされる風潮が広がると、極端でない言葉まで極端に解釈する馬鹿、いや、すっとこどっこいが続出するということである。

女性の活躍応援団が、全員(たぶん)男である、上の神奈川県のそれに対して、「全員男やないか!」というつっこみを抑圧したとしても、何かじわじわと笑いがこみ上げるという点で、「女性の活躍」→「いいね!」よりも「いい」かもしれない。が、女性の活躍を応援、しかも「団」(群れてる男は最低ね)、という言い方がそもそもいやである。このおじさん世代がもつ「応援団」のイメージからしても、絶対にこいつらは何もしないどころか、いままで女性の足を引っ張ってきたことを反省もしないであろう。私は、「応援団」といえば、どちらかというと、どおくまんの漫画しか思い浮かばないので、ある意味まずいのであろうが……

教師の体験からすると、女の子の方が全体的に、というか、根本的に賢い印象を持つのは私だけはあるまい。その女の子がおかしくなっていくのは、思春期に、猿並みの男に惚れたりしてレベルを下げてしまったりするからであろうか。体が小さい私からいうと、男の体のでかさはそれだけで女性を心理的に抑圧しているに違いない。抑圧に慣れると人はその相手に惚れたりするものだ。違うか……

男たちは、いままでも女性を確かに応援はしてきたのである。しかし「自由」は許していないのである。「一億総自由人化」が「いいね!」。そうでないと、女性はまた、以前のように、活躍することによってますます主体的に奴隷になってしまう。言うまでもなく、男にも全く同じことがいえる。