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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

Ave formosissima

2017-12-16 18:09:11 | 音楽


香×大学合唱団の第61回定期演奏会に行きました。来年のゼミ生などが出演するからです。

わたくしも昔、小学校で合唱部だったので、一応思い入れはあるのだ。だいたいにおいて、舞台にあがる女性は本物の三割増しぐらいに美しくなっているからこれもいいのである。つまり、今日歌われたカルミナ・ブラーナの「Ave formosissima」というかんじである。運命の女はミューズである。


第一部

・「ノスタルジア」より「花」。

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき


……で、何に喩えよう?


・「花に寄せて」より「ねこじゃらし」

星野富弘の詩。「思い出の向こう側から 一人の少年が走ってくる あれは白い運動靴を 初めて買ってもらった日の 私かも知れない」わたくしは、思い出の向こう側から喘息の発作が出そうで怖すぎる。

・「みやこわすれ」より「はっか草」

「「はっか草のような人になりなさい」 私はついに そのような人には なれなかったが」

なんだこれ、この曲泣けるじゃねえか……。演奏もよかったね。やっぱ、親子の絆はお年頃の皆さんには実感があるんだねえ――シクシク

・「五つの願い」より「子どもは……」

【合唱の】三善晃【神】作曲。相変わらず、演奏者の心に全く寄り添わない三善晃の嫌がらせのような難しさ。うまく歌えたら昇天してしまいそうなので、みんながんばって歌ってしまうのである。最後に「石の腕の中ですら」と言っているが、谷川俊太郎も何か怖いわ。

・「もうひとつのかお」より「愛」

【合唱の】三善晃【神】作曲。相変わらず、演奏者の心に全く寄り添わない三善晃の嫌がらせのような難しさ。うまく歌えたら昇天してしまいそうなので、みんながんばって歌ってしまうのである。

――と思ったら、三善晃ちゃうわ。鈴木輝昭、三善の高弟だ。谷川と三善系のオーラで勘違いしちゃったわ……

歌詞に曰く、

「そこですべての名は溶けあい、ひとつの名になる」

えっ、ちょっと何言ってるかわかんない

第二部


・「ライオン・キング」、「リトル・マーメイド」、「アナと雪の女王」。

ありのーままのー すがたみせるのよ~
これでいいのだー これでいいのだー
天才バカボンバカボンぼん

第三部


・カルミナ・ブラーナ

うわっ、第三部が下ネタや


今日歌われていたのは、1、2、9、10、24、25である。わたくしも昔吹奏楽でやったことがあるが、やはりこれは歌詞がないとダメである。

「運命にはまじでさからえないね 運命の女神から痛い目にあってしまったよ なぜならここで輪になって おどらにゃそんそん イケメン男子よ 早く来い はいわかりました わたくし世界征服はあきらめて 英国女王と××××したい いやまじであんた美しい おお 運命の女神ありがとう」

今日の歌詞をつなげるとこんな感じになる。まったく、学生は禁欲して勉学に励め、といっても無理なので、もう勝手にしてください。さようなら。

丸亀街道の金比羅燈籠を訪ねる(香川の神社149)

2017-12-16 17:08:49 | 神社仏閣


丸亀街道の金比羅燈籠は飯田町。本津川のほとり。

案内板に曰く、

「天正一六年(一五八八)生駒親正は、高松に築城し、慶長二年(一五九七)に高松の常盤橋を起点に五街道をつくり、その一つが丸亀街道で、兵庫町・郷東を通り、中津の道標(右――金比羅道、左――一の宮道)を左手に一里塚・一本松・三軒家を通り抜け、鬼無・丸亀に通じていた。」


すべての道は高松に通ず……と思ったら、

「この街道を通り、金毘羅宮への参拝客が江戸中期から特に多くなり」

すべての道は金比羅に通ず。結局、金比羅のあまりの人気で寛政九年に上の燈籠ができたのであった。

「金比羅参りは一生に一度は……」とかいう感じで、お伊勢参りと並び、信仰並び陥落歓楽とか商業で、人生の憂さ晴らしを行う人々が多かったのであろうとわたくしは推測する。いまでも、トシをとってくると一見もっともらしい理屈をくっつけて人生のフィナーレを飾るために制度改革や威しに狂奔する人たちが跡を絶たない。確かに、一所にプライドだけふくれあがったおやじを置いておくと、若者を虐めるばかりでなく、文化や人間関係までもぶち壊しかねないので、お遍路とか金比羅参りなどに追い出すというのはいい手かも知れない。一億総活躍だ、人生百年間だ、第二の人生だとか、――頭が働かなくなった人間の無自覚に過ぎない。わたくしは、老いや衰えの問題をあまり舐めない方がいいと思う。最近の、ニュース番組の劣化も、単なる民度の劣化だと思っていたが、ただ老人に合わせているうちに頭がおかしくなっただけかも知れないのだ。われわれは常に一人で考えているのではない。他の頭とともに考えている。だから十分、若者たちもつられて呆ける。どうもいまはそういう時代のような気がする。

なんだか、老人を馬鹿にしているような言い方になってしまったが、無論社交辞令である。これは年齢の問題というより思想の問題なのだ。我々の文化においては、そもそもだんだん若返ろうみたいな欲望を、かなり若い頃から(――たぶん、幼稚園のうちから)持つことを強いられている。どうも日本の神社を回っていて思うのであるが、そこにはあんまり死への恐怖がない。むしろ死を忘れようとする欲望を感じる。しかし死への恐怖がわれわれを駆動するのは普遍的な現象だと思うのである。――つまり、小学生になったら一気に老けてしまうべきだ。いつまでも母親にかわいがられようとして、幼稚になりゃ喜ばれると思い、老人になっても、相変わらず不良時代、いや赤ん坊のような啖呵の切り方を目指してしまうのである。これが、日本の老害の正体である。すなわち、本質的にこれは老害ではなく、日本の「生」文化の害だと思うのである。

それなのに、われわれは、どうせしなければならぬことも大してないのに、まだまだ希望がある夢があるとか、だらだらした生き方を他人に強制している。二十を超えたら、夢とか希望とか小学生みたいな語彙を捨てていただきたい。

大暮神社を訪ねる(香川の神社148)

2017-12-16 16:48:35 | 神社仏閣


どうみても何かあるとしか思えないあれである。大暮神社である。



素人目に見ても古墳の雰囲気がする。

『香川県神社誌』によると、明治五年にできた神社らしい。

「古老の口碑によれば当地は往古より王墓、又は王暮と称し丘陵の地形を為し、神櫛王の後裔の古墳の由を傳ふ」


神櫛王(皇子)は、牟礼にお墓があるお方である。景行天皇の息子で讃岐國造の祖で巨大な魚とかを退治したとかいう。清水神社にも由縁があった。こんなところにも子孫が埋められていたか……。まあ、景行天皇は居たかどうかわかんないんで、あれなんだが――

「四方水を廻らし車塚となりゐたるも、後池を埋めて耕地となせり。」


お堀もあったのね。いずれにせよ、祀られているのは、「大国主命」「少彦名命」「神櫛別命」。最後だけ人間。



皇紀二千六百年記念



階段を上ってゆく。





右手には、「水分神社 遙拝所」



上の方が削れているが、「**(社稷)五大神」に見えるね……



「王墓 安政三年」。ここは、「王墓」とも「大墓」とも言うらしい。「大暮」も、もしかしたら書き間違ったのであろうか……。読み間違えたのであろうか。墓はさすがに無気味なので暮にしたのであろうか。ちなみに、『香川県神社誌』には、「香川県史」を引用して、「大暮」は「王暮」の転訛だと書いてある。



丸石が三つ詰めてある。

 



上を見上げる



帰ります。

城王神社を訪ねる(香川の神社147)

2017-12-16 13:06:12 | 神社仏閣
鶴市町の築城城跡に神社が作られている。弦打案内のパンフレットみたいなものを見たら「城王神社」としてあった。



 

狛犬さん。注連石とともに昭和一〇年とあり。



社稷五大神!



本殿。たぶん、くくりつけけられている古びた石が本体であるぞ……



エイリアンの卵にしか見えない

案内板に曰く。

「戦国時代の飯田郷三城の一つで下飯田城ともいった。当時の城は土塀囲いの屋敷で、」

農家の方が、でかい塀をめぐらした屋敷をおっ立てるのは、昔々からの念願だったのであろう……。城主になりたかったのである。

「築城氏は、長く勝賀城主香西氏に仕え、[…]三代目城主清左衛門は天正十年、土佐の長宗我部氏の軍と是竹の伊勢神宮の馬場で戦いました。」

がんばれ、長宗我部をやっつけろ、神社たちを守れ!!

「その三年後に豊臣秀吉による四国征伐で香西氏は滅亡し、戦国時代も終わりました。」



「天正十五年、讃岐の大名として赤穂から入部した生駒親正に清左衛門は二〇〇石で召し抱えられました。」