「言ひつること、いま一返りわれに言ひて聞かせよ」と仰せられければ、酒壺のことをいま一返り申しければ、「われ率て行きて見せよ。さ言ふやうあり」と仰せられければ、かしこくおそろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひたてまつりて下るに、ろんなく人追ひて来らむと思ひて、その夜、瀬田の橋のもとに、この宮を据ゑたてまつりて、瀬田の橋を一間ばかりこほちて、それを飛び越えて、この宮をかき負ひたてまつりて、七日七夜といふに、武蔵の国に行き着きにけり
所謂竹芝伝説というお話である。孝標の娘が到着したのは、いまの三田の済海寺あたりだと思われるんだそうだが、いまはビルに囲まれて何にも見えないかんじである。当時はさぞ荒涼とした凄みのある風景が広がっていたに違いなく、なぜそういうところで生物の調査でもしないのか理解に苦しむところであるが、娘はお話が生物よりも好きなので、そういうものしか頭に残らないのである。それにしても武蔵国から篝火係で派遣された男は、何故、酒樽の上で瓢が風見鶏みたいになってるような面白い話をぶつぶつ口に出していたのであろう?たぶん、この男もどこかしらお話好きのセンスだったに違いない。即物的な男には、瓢の動きなど目に入らないからである。――おかげで、お姫様に聞かれてしまい、「連れてって」みたいなことになったのだ。「さるべきにやありけむ」とか、なんだか因縁みたいに言っているが、そんな難しいことではなく、お話好きが外界の話なら飛びつくお姫様に掴まっただけの話だ。
それにしても、お姫様を背負って七日も歩いて帰るとは因縁の力は恐ろしい。宮台真司が「法の外にでろ」と言っても一向に出ない日本国民であるが、「因縁力」はたやすく脱法を試みる。だからわたくしは、仏教によって個人が生じていると申し上げているのである。こういう行為がなければ、我々は物語(実は「社会」のことなのだ)を知ることはできない。
雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。
「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」
雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。いつしか森の中へ這入っていた。一間ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。
「御父さん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年だろう」
なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。
――「第三夜」
我々は物語を通じてしか、殺人や罪を自覚することもありえない、という――漱石の時代は、まだこれが道徳的に機能した可能性があるが、いまは「本当はやってた話」みたいな風になってしまうかもしれない。我々は、意識をオン/オフみたいに考える癖がある。物語はそれを不可能にする機能である。