東路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、よひゐなどに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
以前、王朝文学に憧れる物語に憧れる学生がいて、結構優秀であったが、――たしか都会っ子ではなかった。わたくしも、昭和の終わり頃安部公房をよんで「都会はなんかすごいぞ、名前が行方不明になったりするらしいし」と憧れていたが、安部公房が描いたのは、昭和二十年代の東京とか、下手すると戦前の満州であって、結局、文学への憧れを地理的な問題と錯覚していたわたくしは愚かであった。しかし、どうも地理的な距離の果てしなさを知っている人間でないと、真の「憧れ」は存在していないのではないかと思うのだ。
いまはそういう憧れはなくなってしまった。ほんとは人間と人間の距離が縮まったわけではないが、言葉のやりとりなどがその距離を簡単に消してしまう。
この文章は、古今和歌六帖の「東路の道の果てなる常陸のかごとばかりもあひ見てしがな」をふまえ、しかも浮舟の生育地である常陸を意識して、彼女よりももっと「奧」にわたくしいて、都の文学に憧れている、と……。
そういえば、わたくしなんかも常陸に住んでおったのであるが、ある事情でいきなり讃岐に飛んできてしまった。だからいつまでも野暮ったいのであろう。残念なことであるが、物語をよめば野暮ったさが抜けてくるかと言えばそういうことはなく、むしろますます野暮ったくなるのが現実なのである。世の源氏好きを見てみたまえ。だいたい野暮に近い異様なアウラがでている。
それにしても、――周りの女たちは、案外ちゃんと本文の一部を記憶していたような気がするのである。「わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ」という彼女であるが、もはや現実にないような、――すらすらと源氏を暗唱して語るが如きものすごい文人を想像しているんじゃなかろうか。文字の発達でそういう人間が減っていたことは推測されるし……。
わたくしも文章の記憶にはそこそこの自信があったが、最近は怪しい。本文は記憶の底に沈み、憧れでない寂寥が、その本文の残り香からでてきている。
わたくしも、紫の上よりも浮舟の方が好きだ。匂宮を一生馬鹿にできる気がするからだ。