月
その夜は、くろとの浜といふ所に泊まる。片つかたはひろ山なる所の、すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあかきに、風のおともいみじう心細し。人々をかしがりて歌よみなどするに、
まどろまじ こよひならでは いつか見む くろとの浜の 秋の夜の月
総天然色みたいな浜辺で歌を詠む孝標女であった。「まどろまじ」と始めるところがかわいいし若々しい。
今の学生も「レポート締め切り日だ、まどろまじ」と思っているであろう。追い詰められると、風景も変容して美しくなったりもするものだと思う。
私はまたその妹とすごした海岸の夏をわすれたことはない。あの松原のなかで潮風の香をかぎ松をこえてくる海の音をききながら二人して折物をして遊んだとき、円窓のそとにはなぎの若木がならんで砂地のうえに涼しい紺色の影を落した。妹はふっくらと実のいった長い指に折紙をあちらこちらに畳みながらふくふくした顔をかしげて独り言をいったり、たわいもないことをいいかけたりする。つややかな丸髷に結ってうす色の珊瑚の玉をさしていた。桃色の鶴や、浅葱のふくら雀や、出来たのをひとつひとつ見せてはつづけてゆく。私は妹と向きあってなんのかのとかまいながらやっとのことで蓮花とだまし舟を折った。ここにあるひとたばの折紙はなつかしいそのおりの残りである。藍や鶸や朽葉など重りあって縞になった縁をみれば女の子のしめる博多の帯を思いだす。そのめざましい鬱金はあの待宵の花の色、いつぞや妹と植えたらば夜昼の境にまどろむ黄昏の女神の夢のようにほのぼのと咲いた。
――中勘助「折紙」
わたくしは、中勘助の世界というのは、彼の若い頃勃興してきた童心主義とは違っていると思う。「まどろ」んでいるのは全然違うものである。まどろむことが完全な覚醒となるような美なのである。子どもはすやすや寝てしまうから、風景とは交わらない。