苫といふものを一重うちふきたれば、月残りなくさし入りたるに、紅の衣上に着て、うちなやみて臥したる月かげ、さようの人にはこよなくすぎて、いと白く清げにて、めづらしと思ひてかき撫でつつ、うち泣くを、いとあはれに見捨てがたく思へど、いそぎ率て行かるる心地、いとあかずわりなし。おもかげにおぼえて悲しければ、月の興もおぼえず、くんじ臥しぬ。
乳母は出産のために一緒に旅立てなかった。で乳母を見舞ったのである。屋根を苫で覆ってるだけの宿で彼女は寝ていた。月の光が残らず家の中に差し込んでいるなかに、紅の着物を着て、辛そうに横になっている、その月に照らされた姿は乳母にしては不釣り合いな程白く美しく、わたし(孝標女)が来てくれたのを珍しいと思い、彼女の髪を掻き撫でながら泣いているので、大変悲しくてほっておけないと思うけれども、急ぎ兄に連れて行かれるのはやりきれない。帰ってからも彼女の面影がちらついて悲しくなり、月の面白さなんかも感じられず、ふさぎ込み寝てしまった。
ここでは寝てしまった……。我々は確かに、辛いことがあると、寝てしまうことがあるのだが、それだけではない。
あなたを忘れる手だてといえば
あなたに逢っている時ばかり。
逢えばなんでもない日のように。
静かな気持でいられるものを。
――竹久夢二「古風な恋」
孝標女も乳母のところにいれば問題なかったが、そうはいかない。彼女は乳母を突然恋した娘のように輝かしく描いている。乳母を照らす月は見えるのに、彼女がいないと月はみえない。孝標女の見る世界は、コントラストがはっきりした――竹久夢二の描く恋のように法則的である。