天津風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ
昨日、NHKの大河ドラマで、きれいな舞姫たちが踊っていた。「五節の舞姫を見て詠める」上の歌、和歌の中でも最高傑作の一つであろう。そうであろう。むかし坊主めくりで坊主嫌いとか言っててすみませんでした。それにしても、NHKは緊縛に凝ってるのか?この前の宗教二世のドラマでもあるお店で緊縛される子どもを描いていたが、NHKもいまごろ放送コードに挑戦するのであろうか。まあたしかに、これから古代や中古で大河をやろうとおもえば、四国やなにやらが女人から生まれる謎の映像が流れるであろうから、緊縛程度のあれはどうでもいいかもしれない。
来年度は、学生の要請により、文学と二次創作、ひいてはファン意識や推し意識みたいなものの関係を十五回分講義することになりそうだ。現代短歌を勉強してみると、推し短歌なんてのもあるんだな。。。もしかして、上の坊主の歌は推し短歌なのでは。
まああれだわな、平家物語と源氏物語と古事記とならべて、ふるいほど解像度が低いわけではない。ドラマは文芸的解像と関係ないが。。。
落合博満氏が「記憶に残る選手よりも記録に残る選手がつよい」と言ってて、むかしは、そんな発言を、業績主義かよ、みたいに思ったこともあったが、この記録というのは言葉なのである。源氏物語は記憶じゃなくて記録なんだよな、これは完全な鮮度で残り続ける。そりゃまテクストが正確に伝わっているかどうかはわからんが、そういうことだ。
しかし、才能のある人の言葉が残るのはよいとして、大衆の言葉をどうするかは昔から課題であった。
で、考えたんだが、――いつまでもモンゴル出身者が横綱だ、みたいな愚痴を垂れている大衆は多いのだが、そうだ、もう相撲みたいな名前をやめてみたままの「大日本人」でいいのではないか。モンゴルからのあれも防げるし、某吉本の芸人の作った映画の名前が想起されお笑いの擁護にもなr(以下略)