八日。さはることありて、なほ同じところなり。今宵、月は海にぞ入る。これを見て、業平の君の、「山の端逃げて入れずもあらなむ」という歌なむ思ほゆる。もし、海辺にてよまましかば、「波立ちさへて入れずもあらなむ」ともよみてましや。今、この歌を思ひ出でて、ある人のよめりける、
てる月の流るるみれば天の川出づる港は海にざりける
とや。
わたくしは、東大の天体観測所が設置される程の空気の澄んだ地帯の近くの生まれであるから、満天の星空というのを経験したこともある。天の川は本当に白く流れているし、本当に、星明かりというものも存在する。ただし、わたくしのうまえたところなんか、上のオリオン座のリゲルが山の端にかかること屡々で有り、おおいぬ座のシリウスを余裕持ってみることが夢であったのに、香川に来たら、シリウスなんか結構な高さに見えるではないか。空がこんなに広いものだったとは知らなかった……。
で、今度はいつか機会をみつけて、海に沈む天の川をみてみたいものだ。たぶん水面とつながって見えるはずなのだ。
上の業平の歌は、伊勢物語の「飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ」である。山の端が逃げるはずはない。――もっとも、月とせめぎあっている山の端はゆらゆら揺れていることは確かである。
山越阿弥陀図の類いは、香川の海の民よりもわたくしのような人間の方が見る可能性が高いと思うのだ。とはいえ、伝説によると、石清尾八幡のある峰山の頂上あたりに大日如来が顕れたことがあったらしいから油断は出来ない。
心願を持つて、此は描いたものなのだ。其にしては繪樣は、如何にも、古典派の大和繪師の行きさうな樂しい道をとつてゐる。勿論、個人としての苦悶の痕などが、さうさう、繪の動機に浮んで見えることは、ある筈がない。繪は繪、思ひごとは思ひごとゝ、別々に見るべきものなることは知れてゐる。爲恭は、この繪を寺に留めて置いて、出かけた旅で、浪士の刃に、落命したのであつた。
今かうして、寫眞を思ひ出して見ると、彌陀の腰から下を沒してゐる山の端の峰の松原は、如何にも、寫實風のかき方がしてあつたやうだ。さうして、誰でも、かういふ山の端を仰いだ記憶は、思ひ起しさうな氣のする圖どりであつた。大和繪師は、人物よりも、自然、裝束の色よりも、前栽の花や枝をかくと、些しの不安もないものである。
――折口信夫「山越しの阿彌陀像の畫因」
わたくしは、近代の文学者達が、こんな感じで意味ありげに仏を見るのに少し異和感がある。ふつうに、みておれば、いきなり見えることもあると思うぞ……。